多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
本日8月1日を、「墓参りの日」と決めている地域がある。
そこは私の生まれ故郷である、信州佐久地方の一部だ。
人はお盆、お彼岸以外にも折々で墓参をするが、年中行事の中に「墓参日」を組み込んでいる地域は少ないはずだ。
この行事は1742年に千曲川が氾濫し、3000人近くが犠牲となった、『戌の満水』を忘れないために始まったものである。
我が家の墓は浅間山を遠望する山中にある。
墓参りの日は沢山の花と供物をもって、一族が揃って険しい山道を登って行く。
花、線香は自分の家だけでなく、墓域全体のお墓に供えるのがルールになっていた。
『花は遅かった』と言う歌がある。
読者の皆さんで、この歌を知っている方は少ないと思うが、作詞は星野哲郎さん、歌は美樹和彦
さんである。
「かおるちゃん遅くなってごめん、君の好きな白いクロッカスの花を探していて、間に合わなかった。白くなったその手に花を抱かせて上げるよ」
そんな内容である。
人間はいつから花を美しい物と観て、亡くなった人に供え始めたのだろうか?。
人間はアフリカに生息していた類人猿と、枝分かれして進化したものと言われているが、当然その過程のある時期に発生した感情である。
人類の歴史上、最初にお墓に花を供えたのは、ユーラシア大陸に生息していた、ネアンデルター人と言われてる。
4万年前に滅びた種族だが、何年前から生息していたかは諸説が有って確定していない。
40万年前説ー80万年前説と幅が広く、従っていつから花を供えたかは確定出来ない。
イラク北部シャニダール洞窟の、7万年前の地層から発見された埋葬墓の周りから、沢山の花粉が発見された。
分析の結果、ノコギリソウ、ムスカリ、矢車菊などと判明している。
少なくとも7万年前のネアンデルター人は、花を美しい物と認識していて、それを供えたら亡き人々の慰めになると信じていた。
それは同時に供える側の、人としての歩みに寄与するものになっていたに違いない。
今日も佐久地方のお墓では、人々が沢山の花を墓前に供えて、供養の気持ちを表している。
墓前で亡き人々と食事を共にする家も多い。
供養の語源は『尊敬』である。
















