お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
幼稚園時代の話しだから、数えるのも面倒なくらい昔だ。幼稚園と言っても入学前の教育ではない。農作業のじゃまになるから預けられ、お寺で遊ばされていたに過ぎない。
今時のお寺が経営する幼稚園とは違い、村がお寺の一画を借りているのである。お寺は禅宗の古刹で、前山城主伴野貞祥の菩提寺。子供にそんな事は関係なく、鐘楼も座禅場も山門も、住職がいなければやりたい放題である。私の産地は前山村といい、名前のとうり八ケ岳山麓、南北に細長くへばりついている。幼稚園は南の端、わが家は北の端。幼稚園バスも無ければ親の送迎もない。5、6才の子供がまともに着く訳がない。途中の小川には魚、蟹、ドジョウが沢山いて、誘惑がいっぱいである。
ある日、時間も幼稚園もわすれて、思いきり遊んで、揚々と幼稚園に向かう。最後の急坂を登って行くと、幼稚園を終えた仲間たちが下ってくる。一緒に帰ろうかと考えたが、一応教室に寄ることにした。 「おやつを食べて帰りなさい」と先生は笑いながら、かりん糖を手渡してくれた。
またある日のこと、仲間たち数人と「死んだはずだよお富さん、生きていたとはお釈迦さまでも、、」と大きな声で合唱しながら歩いていた。幼稚園に着いた時、今度は先生に笑顔はなく、「流行歌を歌いながら来た子達は、家に帰りなさい!」と言う。
当時流行歌を歌う子は悪い子であった。帰宅しても親は畑に出ていない。弁当を開けると、昆布の佃煮が入っていた。 思い出と食べ物は切り離せない。翌日幼稚園に行くと、先生が今度は笑顔で、「俊夫ちゃん良く来たね、他の人達は休んでいる」と褒められた。
私が卒園して直ぐ、村の真ん中辺りに新しい幼稚園が建てられた。通園距離が短くなって、可愛そうな子供たちである。幼稚園は着くまでが楽しいのだ。