多聞院お寺の漫画図書館、スタッフの諸澤正俊です。
3月に股関節を骨折して、1ヶ月半入院していた。リハビリ室で担当のトレーナーから、「一度歩き方をじっくり見せて下さい」と言われて、トボトボと歩いた。
「その歩き方では転びます。骨折を治しながら、正しい歩き方を習得しましょう」と提案された。
「お腹に気持ちを集中して胸を張り、脚は腰で送り出しながら、カカトから歩いて下さい」
普段の生活でも姿勢の悪い私である。
長年の間に身についた悪い癖は、中々抜けてくれないが練習をつんでいる。
もう、「背中は曲がっているが、生き方は真っ直ぐ」、の冗談も受けなくなった。
「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし」 徳川家康
有名な言葉である。
生きた70年間を振り返った時、私にとっての重荷は、「死に対する恐怖」であった。
必然、何かを選択する時の物差しは、「どうせ死ぬんだから」となる。
結果、「諸澤さんって大きな決断を簡単にしますね」と後輩は評し、「どうして昇任試験を受けないのか?」と、上司に詰問された時、「役職が一つ上がるより、花の名前を一つ憶えるほうが価値ありますから」と答えて、大ひんしゅくを買うこととなる。
還暦を迎え、死が真近になりつつある時、その恐怖を乗り越えるためと、両親の菩提を弔うために僧侶となった。
当然の事だが、親の供養だけで僧侶は勤まらない。
今年古希を迎えて、「何か新しいことに挑戦してみよう!」と考え、パソコンをやることにした。
ところがその矢先に、転んで骨折入院。
杖が外れて全快かと思いきや、今度は大病が待ち受けていた。が、沢山の皆様からのお支えで、延命させて頂いた。
観智院第22世土屋光道上人から、「働」の意味と字の成立ちについて、教えを受けたことがある。
「働」は日本で作られた字であり、イと動に分解して「人の為に動くこと」、が真の意味であるようだ。
延して頂いた命。その使い方が自ずと決まる、光道上人の教えである。
令和元年八月十五日 僧自恣時に
南無阿弥陀仏 至心 合掌 龍譽正俊