多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
この時間も新型コロナウイルス感染症と闘っている、様々な現場の皆様に感謝申し上げます。
本年も「お寺の漫画図書館」、「老僧の独り言」共々宜しくお願い致します。
今年私は72歳の年男で、「うっそー、見えないー」
と時々社交辞令を頂くが、むしろ
「昨日ことなら忘れたが、遠い昔は今も鮮やか」(秋元康)
の方が相応しい。
昨年末の書道教室で、年末ジャンボ10億円宝くじの話で盛り上がっていた時、「数年前、主人が6000万円当てた」と、伏目がちに呟いた女性がいた。
それでは私もと、翌日浜松町駅近くで3000円分を買ってみた。
もし当たったらビックなお年玉だ。
「お年玉」の語源をご存知でしょうか?。
遥か昔しのことだが、何故「玉」の字を使うのか気になり調べたことがあった。
「玉」の意味が硬貨なら、札では上げられない。
結果(諸説有り)は、
「年神様の御魂を宿した餅玉を、家長が家族に与えること」であった。
「お年玉」は本来お金ではなくお餅である。
お金に代わったのはそう古いことで無く、昭和の中頃のようだ。
我が家では両親に「お年玉」を上げている。
下から目上に差し出すことになり、歴史的には正しくないが、立場上言えない。
元々お餅は神聖な、ハレの日用の食べ物で、現代の様に一年中店に並ぶ物では無かった。
最近義父が、餅つきをしたいと時々言う。幼い頃の正月に関する記憶が、懐かしく甦るのだろう。
叶えてやりたいが道具は無いし、その上、杵を振り下ろす体力の持ち主が居ない。
私が幼い頃、我家では親戚と一緒に、薄暗い内から夕方まで餅をついていた。
鏡餅と冬の保存食の準備なので、男衆にとってはかなりの重労働である。
「ペタン、ぺタン」と餅つく音が、今も鮮やかである。
令和三年 元旦 龍譽正俊 拝