多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
電車内の広告を見て、しばらく考え込んだ。
『心に、京都を』との、お茶のキャッチコピーである。
「そんなことが可能?」と、私の妄想癖が動き出す。
もし京都が心に入った場合、私はどんな状態になるのだろうか?。
言葉使いが急に「おいでやす」となったら、それはそれで楽しい。
お茶が京都でしか採れないなら、ゴクリと一杯飲んで、「入った、京都が心にも入ったぞー」と、少し強引だが不可能ではない。
お茶→宇治→平等院→鳳凰堂→雲中供養菩薩と続けて、「京都が入った‼️」ってことにしておく。
場所はふせるが
「餃子とビールは文化だ‼️」という、居酒屋の看板がある。
横を通るたびに、「確かになー、文が化けている」とニンマリする。
私の好きな鯖には、『文化干し』がある。
天日干しでなく冷風機で干した物だが、何故それだけで文化がつくのだろうか?
こんな時は専門家に聞くのベストである。
広辞苑によると『文化』とは、
「人間が学習によって社会から獲得した生活の仕方の総称。」とあるので、餃子とビールも、鯖の文化干しも立派な文化である。
映画の中のセリフである。
登場人物A:会社から外出する女性、B:受付の女性
A:「何かある?」
B:「いい男を」
A:「探してみる」
帰社
B:「いい男は?」
A:「貴女の才能とつり合いの取れる男はいなかった」
と言いながらコーヒーを渡す。
B:「コーヒーの方が良いわ、嘘つかないから」
帰社後は私の創作である。
日本語に訳した人の感性が反映されるから、必ずしも外国の皆様が日常的に、こんな洒落た会話をしているかは分からないが、外国映画を観る楽しみの一つではある。
最後は日本の伝統文化である、落語の小咄をひとつ。
「これはルノアールね」
「これはピカソね。素晴らしい」
「これはムンクね」
「いえ、それは鏡です」
私の創作ではないので、炎上は無用で願います。