多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
6月22日は母の祥月命日であった。
前日に供花として、白百合、菊、桔梗、カーネーション、アルストロメリアを買った。
百合が開花を始めたら八重咲で、「なんだ、八重かよー」と、百合さんには申し訳ないがガッツリする。
表題の「七重八重花は咲けども、、、」は、兼明親王の歌だが、全体の歌意とは関係なく、頭の部分だけを失敬した。
「花は一重に限る」が、私の長年にわたる思い込みである。
花の八重咲は突然変異により自然発生することもあるが、多くは品種改良の結果であると、農業高校時代の『草花』の授業で教わった。
遺伝子操作によって、雄しべ雌しべになる予定の細胞を、花びらに変えてしまうので、基本的には種ができない。
種なしスイカもこの原理である。
百合にとって人間は、「恋路を邪魔する野暮なやつ」である。
野暮どころでなく、心底嫌なやつのはずだ。
開花をじっくり観察した。
最初の花びらは後進の成長のためにいっぱいに反り、三分咲きではハクモクレンに、五分咲きはスイレン似で、「歩く姿は百合の花」のイメージにはほど遠い。
最初の花びらは後進の成長のためにいっぱいに反り、三分咲きではハクモクレンに、五分咲きはスイレン似で、「歩く姿は百合の花」のイメージにはほど遠い。
百合と言ったら、夏の野の茂みに咲くササユリや、花びらをいっぱいに反って、風に揺れる鬼ゆりが私は好きである。
ほぼ満開になったので、花びらを数えたら29枚あり、中心の小さめの花びらには、雄しべの茶色の残骸が付いている。
外側の6枚は「花びらになろうね」と、細胞分裂して目標通り花びらになった。
残りの23枚は「雄しべ雌しべになろうね」と、細胞分裂していたのだが、途中から、「花びらに変更せよ」との司令が出て、嫌々花びらになった。
「何だ花びらかよ、雄しべになるつもりで頑張って生きていたのによー」と、百合のため息が漏れる。
ここはひとつ植物仲間である『葵』さんの力をかりて、
「助さんもういいでしょう。これ以上新しい花を作り出す必要はありますまい。今ある花を、大事に育て愛でることで十分です」でどうでしょう。