多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
バスの乗務員の方で、お客さん全てに「有難うございました」と言う人と、全く言わない人がいる。
私は必ずしも1人づつに「有難うございました」と、言うべきとは考えていない。
私は年間2万支払う、東京都シルバーパスの利用者で、降りる時は必ず、「有難うございました」と礼を言って降りる。
安い料金で乗せて頂いたことと、安全に運んで貰った感謝である。
最近気がついたことである。
私の前まで「有難うございました」と挨拶を交わしていた乗務員さんが、シルバーパスを出す私には無言なことがある。
「ただで乗られた」と感ずるのかも知れないと、勝手に想像していた。
このことを家族に話すと、娘は、「そんなこと有る訳無いよ。思い過ごしだよ」と言う。
ある時偶然娘と一緒にバスに乗った。
偶然は装っただけで、「一緒に乗りたかった」が、お父さんの切ない思いである。
終点で降りた時娘が振り返り、「お父さんが言っていた事、本当かも知れない」と。
「さっきの乗務員さん、私の前のシルバーパスの方に無言で、私には有難うを言った」
娘や私の聞き違いの可能性も有るので、断言は出来ない。
立場が変われば気持ちも変わる。
私は僧侶になる前、45年間郵便配達を生業として生きた。
雨の日、雪の日に、「郵便屋さん大変だね。ご苦労さん」と、多くの皆さんに労をねぎらって頂いた。
営利を目的にしない行為だからだろう。
ところが民営化になって、切手、葉書などの自社製品以外の、「ラーメン、米を売って来い」の時代になった。
書留、速達を手渡す時は、こちらから必ず「有難うございましたと言え❗️」、との教育が始まる。
私にはそれが大きな壁で、「有難うございました」と中々言えなかった。
朝夕の散歩中に、気持ち良くすれ違うご老人がいる。
「こんにちは」の一言だけだが、「今日も元気に会えましたなー」と、そんな空気が流れる。
大伴旅人の歌である。
「生ける者 遂にも死ぬるものにあれば
この世なる間は 楽しくあらな」