多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
本日の表題が、富くじの当たり番号と分かった方は、かなりの落語好きである。
富くじとは、江戸時代に神社仏閣で盛んに行われた、今で言う宝くじである。
大晦日にルーレット回して、当たり番号を決めて発表するTV番組があるが、富くじは唐櫃内の札を、寺社奉行立ち会いのもとで、長い柄のきりで突き、「本日のおん富1番、子の1365番、子の1365番」ってことになる。
路銀にもことかく貧しい旅人が、俺は一度に何万両も動かす豪商で、庭には千両箱でいっぱいになった蔵が、沢山建っている。この間なんか、泥棒が15人でやって来たので、「好きなだけ持って行けと言ったら、千両箱を80個しか持って行かない。だらしのない奴等だったよ。」
そんな大ボラを吹きながら、今にも潰れそうな宿屋に泊まる。
宿屋の主人の副業が富札売りで、売り残った最後の一枚を一分で買わされて、客は無一文となる。
私は幼い頃、村の駄菓子屋で「一攫千菓」を夢見て、少ない小遣いを「くじ引き」に度々浪費した。
あの、「くるぞ大当たりが、真ん中の甘納豆の大袋を全部食えるぞ」のどきどき感は、たまりませんでしたねー。
やがて、「お願いだから来て‼️」の悲壮感に変わり、結局最後は、肩を落としながら家に帰り、甘納豆の代わりに、庭先のキュウリをもいでかじることになる。
前述の旅人は、当たる訳ないからと、「当たったら半分やる」と宿屋の主人に約束する。
「取らぬ狸の皮算用」ならぬ、「当たらぬ宝くじの、大盤振る舞い」ってとこか。
翌日旅人は朝の散歩にでて、富くじの抽選は終わり、当たり番号が貼り出されている、湯島天神に入って行く。
貼り紙から、千両が当たっていることを知ってさあ大変。
宿屋にとって返し、風邪を引いたと嘘をつき、布団をかぶって震えている。
やがて宿屋の主人も富くじが当たっていることを知り、「半分貰える、5百両だー」と宿屋に帰り、
布団を被って震えている旅人に、
宿屋主人 「旦那起きて下さい.1000両が当たりました。寝てる場合じゃないです。500両貰えるんですよね」
客「やるよ、やる。1000両位でガタガタ震えるな。だから貧乏人はやだてんだ。下駄を履いたま部屋に入ってるじゃないか」
宿屋の主人がお祝いをしましょうと布団を剥ぐと、客も草履を履いたままだった。がこの落語の下げである。
噺しの途中で「欲張り過ぎると、幸せの神は寄り付かない」とのセリフが有り、作者はお笑いのなかにも、自分の人生哲学をしっかりと忍ばせている。
9月10日(火曜日)に多聞院で落語会がありますので、下のチラシを参照の上、是非お出掛け下さい。