お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
私は昭和24年に信州の佐久で産まれた。戦後の食料難の影響が続いていたかは不明だが、食卓に肉魚が上がることはまず無かった。客人のもてなしは鶏肉で、その分翌日ニワトリが減っていた。
高校生の時、親父が農閑期の出稼ぎで東京に出てしまい、ニワトリを絞める役が私に回って来た。出稼ぎ仲間の家から頼まれたこともあるが、
殺生に駄賃が有ったかの記憶はない。
時代と言えばそれまでだが、思春期の子供があまりやることではない。
家族の誕生日のご馳走は、カレーかお萩と決まっていた。
お萩はオヤツでなく、夕食のメインデッシユである。満腹までひたすらお萩を食べ続ける光景は、今思い浮かべてみると圧巻である。
家族全員が甘党で救われていた。カレーのルーなどは無く、SBのカレー粉と小麦粉をフライパンで炒っていた。匂いが家中に流れて、「やったぜ、今日はカレーだ」と小躍をしたものだ。
18歳で上京して職についた。町の食堂でカレーを注文してぶったまげた。
何とカレーに肉が入っているではないか。
はて、我が家では竹輪だったが、、、。
母親の台所事情だったのか、地域的な特色だったのか、今知る術はない。
今日はお盆。目蓮尊者のように、母の居所を捜し出すことは叶わないが、至心に南無阿弥陀仏
合掌 龍誉正俊