多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
先日久しぶりの墓前法要で、相模原まで行った。自宅から30キロほどの距離だが、カーナビは八王子からの山越えを案内する。
雨上がりのせいか新緑も鮮やかで、通り沿いのあちら此方に、山吹も咲き出している。
自宅付近の山吹は見頃を過ぎたので、かなり標高差があるようだ。
私は山吹の花を観ると胸がときめく。
大好きな花の一つで、枝垂に順々と開花する姿は可憐で、更に川の流れをバックにしていたら、もう言葉は要らない。
そして、山吹の花言葉は「気品」
おっと、今日の独り言は「山吹」が主ではない。
山吹の開花は、山菜の王様と言われる「タラの芽」の採取時期と重なり、山に入る目安となる。
数年前まで、職場の仲間と毎春タラの芽採りに、信州佐久の我家まで行っていた。
年明けの気候を参考に、採取適期を予想して休暇願いを出す。
夜遅く村に着いて、貞祥寺門前の桜が満開だと、時期が早過ぎて期待出来ない。
桜が終わり、門前から我が家に向かう、坂道脇の山吹が咲いていると、「よっしゃー」となる。
翌朝二日酔いの仲間を外し、身仕度を整える。
タラの芽の木は棘で覆われているので、厚手の革手袋と引寄せる鎌が必要だ。
「自分の食い扶持は、自己調達だからね」と檄を飛ばして、いざ出陣。
とは言え、土地勘のあるのは私だけ。都会育ちの者が知らない山に入るのは、昼間でも不安で危険なことである。
実際に山中で迷う者もいて、何度も捜索に出たものだ。
「あ、あそこに有る。あ、ここにも有る」と夢中になった結果、「あれ、ここ何処だ」となってしまう。
さらに運悪く携帯の電波は飛んでいない。
昔し奈良を放浪していた頃、初瀬の山中で迷い遭難しかけた。
陽は落ちて薄暗くなる。高い場所から道を探すのだが、いざ歩き出すと又分からなくなる。
途方にくれて座り込んでいると、藪からスーと動物が出て来た。
「熊か?」と一瞬身構えたら、地元の叔父さんで、小さな籠を差し出しながら、「おい、松茸を採ったんだ。ほらいい匂いだろう。見せるだけだぞ」と自慢し、山からの脱出方法を告げて、藪に消えた。
タラの芽を沢山採るにはコツがある。むやみに動き回らず、一ヶ所から360度じっと目を凝らして木を探す。これを「鵜の目タラの芽」と言う。(私の造語)
群生する植物なので、未採取の場所を見つけると、一気に目標を達成して、「万歳ー」。
各自の収穫を合わせ、そこから夜の天婦羅分を除き、あとは人数で分ける。
二日酔いで山に入れなかった者も、途中で挫折して収穫ゼロの者も、平等に分け合う。
これは夜の宴会を、和やかにするための術である。笑
法務の帰り道、山に入りたい気持ち抑えながら、山吹の峠を越えた。