お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
最近ゆとり教育の弊害が時々言われる。教育内容と時間数を主点とした主張だろうが、「ゆとり」の単語の使い方に違和感を感ずる。
いつでも「ゆとり」はあった方が良い。
私は生来飽きっぽい性格である。 新しい事に興味が湧いたら抑えられない。 親からは「飽き介」のニックネームを頂戴していた。
中学生になった時、幼いころから川と沼で泳いでいたので自信が有り、水泳部に入った。暑くなる前に、隣りの高校のプールを借りて練習を始めるので、寒くて止めた。
2年生になってバスケット部に入った。うさぎ飛びが嫌で、直ぐに止めた。
3年生になって、特別の理由もなくバレーボール部に入ってみた。自分に合っていたのか、前衛レフトのアタッカーを任されて、どうにか1年間続いた。
高校生になって、バレーボールを続けたいと親父に話したら、「運動はもういいから、叔母ちゃんの本屋でアルバイトをやれ」と言う。
「親父、そりゃねえよ!!」
「勉強と運動は自転車の両輪」と、学校では教えるのに我が親は奉公に出ろと言う。
この親父、自分は進学を親に反対されて東京に家出。新聞配達をしながら、大学のニ部に入った強者である。
一応従って叔母の下で3年間働いた。バイト代と併せて、高校の授業料も出してもらった。
強いられて始めたアルバイト生活であったが、その経験は後の人生に大いに役立った。
学校では学べないことが、如何に多いことか。
親の言う事は聞いておくもんだ。
な、青年諸君! 父の日も近いぞ。