多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
5月10日、「母の日」の夜、NHK「新BC日本のうた・母の日にききたい歌」を観た。
ほとんどの歌手が、こみ上げる思いを隠さずに歌っている。「ああ上野駅」を歌う細川たかしさんは、涙で二番が歌えない。
川中美幸さんは、いく筋に流れる涙を拭いもせず、「無縁坂」を懸命に歌う。
私にとっては、歌いたいが歌えない曲である。
「運がいいとか 悪いとか、、、」で、何時も胸がつまってしまい、続けられない。
私は若い頃、親不孝だった。
人として生まれたことを、疎ましく思っていた。
滅することを前提とした人生に、喜びも幸せも実現する訳がなく、在るのは死に対する恐怖のみ、と考えていた。
命をかけて出産に臨んだであろう、母親に対して、大変申し訳ないことである。
18才の春、母が急逝した。
「叔母ちゃんの家に行き、実家に知らせてもらえ」
と、父から命ぜられる。
電話を所有する叔母は、村から2キロ程離れた町に住んでいた。
まだ薄暗い田んぼの中の一本道を、
「母ちゃん!、分かったよ。母ちゃんの分まで、一生懸命生きるよ」と叫びながら、自転車を必死にこいでいた。
この歳になっても、脳裏から決して離れないシーンだが、その後の生き方を決定付けた 、15分間でもあった。
歌番組の後半、若い歌手によって、「かあさんの歌」が歌われた。
かあさんは夜なべをして、手ぶくろ編んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとのたよりはとどく いろりのにおいがした。
作詞 作曲 窪田聡
窪田聡さんは東京生まれだが、小学生の頃、長野県信州新町に疎開しており、その時の情景が歌に込められている。
葬儀のお別れ式にも流される、日本人の心の原風景的な歌だが、若い人達には歌詞が、イメージされずらいかも知れない。
私は実際に、母が夜なべをしてセーターを編んでいる姿、父が藁打ちをしている姿、あかぎれに膏薬を溶かし埋めている、両親の姿を見ながら育った。
母からの最後の手紙を、繰り返し、繰り返し読みながら生きた53年間。
母の分までは、まだ生きれていない。
合掌 至心十念 龍譽正俊拝