多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
本来お彼岸は、仏教徒としての修行週間で、お花や牡丹餅を仏壇に供えるのも、お墓参りに行くのも、
『供養』の形である。
義母の墓参のお供をした。
義父の体調の都合で、義母と二人だけのレアな墓参である。
母はお墓の掃除をしながら、「歳をとってこの一段が危なくなった」と、ぽつり。
供物が缶コーヒー、ヤクルト、大福と、奇妙な取り合せだが、故人の好物だったのだろう。
私の読経と回向が終わったとき、「家に僧侶がいると有難い」と、ぽつり。
私から法施をさせて頂いた、穏やかな春の一日であった。
私は生涯で一度だけ他人を殴った事がある。
高校三年生の体育の授業中、同級生の一人とトラブルとなり、昼休みに体育館の裏で決着をつけることに。
沢山の同級生に囲まれて、引っ込みがつかなくなった私達は、殴り合いの乱闘となった。
結果は忘れたが、そのあと長い間「自分は悪くない」と、様々な言い訳を探し続ける自分がいた。
その後彼と私は、同じ東京消防庁で消防士となり、旅行を共にするなど仲の良い友人でいたが、事件についての話しは決してしなかった。
彼は62歳で隠れてしまったが、お互いづっと悔やんでいたのである。
「あーあ、あの時なー」と、私がぽつり。
3月21日は娘の誕生日で、かつ世話になった叔母の祥月命日である。
誕生日のケーキを買いに、娘と車で立川に出かけたが、娘も可愛がってもらった叔母なので、自然と思い出話しになった。
病弱な母が入院した時は、朝叔母の家によりお弁当を貰い、学校に通っていたこと。
50歳を過ぎても小遣いを貰っていたこと。
私の思い出を黙って聞いていた娘は、「うちは善い人たちに囲まれているね」と、ぽつり。
『供養』の語源は『尊敬』と言う。