多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
今日8月1日、私の田舎(信州佐久)では、古くから「お墓参りの日」と決まっている。
1742年、2800名の犠牲者を出した、千曲川の洪水被害がきっかけである。
諸澤家の墓地は小高い岡の中腹にあり、維持管理を一族の合議で運営している。
お墓参りの前日は「墓掃除の日」で、早朝から総家集合となるが、私は遠いので皆さんにお願いすることが多い。
埋葬方法の歴史は、先人が亡き人と如何に向き合って来たかを、私達に教えてくれる。
約40万年前から約3万年前まで存在した、ネアンデルタール人の子供の墓の周りから、多量の花粉が発見されている。
夭逝した我が子を供養する意識の存在と、その方法に花を用いていたことがわかる。
現在花粉考古学として、一分野を築いているようだ。
約4千年前の縄文遺跡、青森県三内丸山遺跡では、集落から海に向かう道の両脇に、大人の遺体が二列に埋葬されていた。
生活を支える漁業を、死者に護って貰おうとした。
と考えられている。
1962年に発見された高松塚古墳石室の、東、西、北、天井の四面には、極彩色で計16人の男女群像と星宿図が描かれており、まるで死後の世界がこの世と連続しているかのようである。
特に西壁の女子群は色彩が鮮やかで、「飛鳥の美女」として、教科書にも登場している。
飛鳥時代から奈良時代にかけての万葉歌人、穂積皇子が、亡き但馬皇女を偲んで詠んだ歌が、万葉集に収められている。
「降る雪はあわにな降りそ吉隠の
猪飼の岡の寒からまくに」
墳墓に雪が積もり皇女が寒くて可哀想だと、隠れてもなお変わらぬ想いを歌う。
私の大好きな一首で、猪飼の岡で古墳を探したが、発見には至らなかった。
現代は、共同墓、散骨、樹木葬等々の、新しい埋葬方法が工夫されている。
遠くない将来、星への「宇宙葬」が登場するかも知れない。
埋葬方法は変わっても、亡き人と私達の「関係性の継続」は、失いたく無いものである。
緊急事態宣言下で、「お墓参りの日」の帰省が叶わないが、東京にて供養させて頂く。
南無阿弥陀仏 合掌
お知らせ
私の所属する観智院・眞生同盟は、毎年8月1日から
5日まで、長野県諏訪市の唐沢山阿弥陀寺に籠り、
念仏修養会を修しております。
今年は新型コロナウィルス感染症のため、登嶺が叶いません。
観智院、多聞院を中心として、完全リモートにより、8月1日、12時30時から3日、17時までの間、皆さんとお念仏、法話をご一緒させて頂きます。
詳しくは観智院ホームページ(http://canchiin.net/)をご覧下さい。
観智院YouTubeチャンネル→https://youtube.com/user/Canchiinvideo
諸澤拝