多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
秋のお彼岸中、大宮の霊園に墓前法要で伺った。
台風14号の影響を心配していたが、雨は前日に止んで、当日は秋晴れの良い天気となった。
定刻より2時間早く到着し、霊園入り口のお店で仏花を求め、小学校の同級生のお墓に向かった。
花を買うと、お線香を1束サービスしてくれるお店で、持参してはいるが有り難い。
法要の時間まで余裕が有ったので、読経のあと暫く墓前にとどまり、同級生との思い出にふけっていた。
この霊園に同級生のお墓があることを2年前に知って、時々お参りさせて頂いている。
家が隣りで、「幼なじみ中の、幼なじみ」。
田舎から遠く離れた大宮でお墓を見つけられたのは、「来て!」と呼ばれたに違いないと思っている。
今年の6月に、同じく小学校の同級生が隠れ、暫く落ち込んでいた。
彼女は同級会のムードメーカーで、美味しい漬物を差し入れてくれたり、随分世話になった。
この「老僧の独り言」も熱心に読んでいてくれた。
知り合いの誰れが逝っても寂しいが、同級生の場合は独特の感情がわく。
共通の思い出のせいか、或いは、人生のスタートラインが一緒なので、「そろそろ自分も」と、我が身を重ねるのかも知れない。
そんなことに思いを馳せていて、近くの墓前で座り込んでいる、お婆ちゃんの姿が目にとまった。
右手にビールの長い缶を持ち、墓石に向かって話しかけているようだ。
お婆ちゃんの話し合い手は誰だろうか?
先に逝った人に違いはないが、多分ビールが好きだった人で、お婆ちゃんは今、「生前共に過ごした時間の中に居る」と感じた。
法要の時間が迫って指定されたお墓に向かうと、霊園内の道には出店が沢山並んでいて、まるでお祭りのようだ。
焼きそばやたこ焼きを墓前で食べながら、賑やかにお墓参りをする。それも悪くない。
私の田舎(信州佐久)ではお墓参りの日に、墓前で宴会をする一族が少なからずいる。
残された者達が仲良く暮らしてることを、先に逝った人達に見てもらうのは良いことだ。