お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、ご存じ「雪国」(川端康成)の一節である。
私の古里は鯉で有名な信州佐久だが、昔し信越線で初冬に帰省すると、同じ経験ができた。
群馬県側から碓氷峠のトンネルを抜けると、雪一面の軽井沢が待っていた。
「ああ、帰ってきたなー」と言う感慨、或いは遠く離れた地で古里を思う気持ちは
独特である。
「ふるさとは遠きにありて思うもの」と詠んだのは室生犀星である。(詩集『抒情小曲集』)
私は長いこと、「遠隔の地で、古里を思う気持ちを詠んだ」と考えていたが違うようだ。
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
と詩は続いてゆく
(後略)
都会に出たのだが、上手く生きられない。
古里に帰ってみたものの、受け入れられない。
東京に戻らざるを得ない辛い心情を、古里にて詠んだようだ。
都会で詠んだ、古里で詠んだと、多少の論争はあるようだが古里への思いの強さに変わりはないだろう。
遠く九州に嫁いだ私の伯母は、「毎晩眠りにつく時、必ず信州の風景が浮かんでくる」と晩年言っていた。
10月の初頭に小学校の同級会が佐久である。
信越線は新幹線に替わって、国境の長いトンネルを抜けても、さらにトンネルが続く。
雪の出迎えはないが、竹馬の友は待っている。