多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
僧侶になる前の、若い頃の話しである。
職場の後輩から、「諸澤さんて何時も、面白いことを言おう、言おうとしているでしょう」と指摘された。 「当たりー❗️」である。
「少しでも楽しい職場にしよう❗️」なんて、そんな前向きの理由ではない。
山紫水明の信州で生まれ育った私は、18才の秋、身一つで東京に上った。
都会の慣れない職場で不安を抱えながら、「嫌われない方法」を必死に考えた結果、「面白いことを言っていれば良い」、と言うことになった。
「面白いこと」と言っても、そもそも私自身が「面白い人」で無いわけで、そう簡単ではない。
結果、面白いことを探して、頻繁に頭が回転してしまう。
欧米社会でユーモアは大切な社交術の一つだが、それには高い教養の裏付けが必要と言う。
外国映画のセリフの、なんとお洒落なこと。
参考にはなるが、私が噛み砕かないで真似ると、受けるどころでは無い。
「昨日はどこに?」、「そんな昔の事は覚えていない」、「今夜会える」「そんな先の事は分からない」
「今夜何を食べたい?」
「そんな先まで、生きているか分からない」と、使ってみたが、あっさりスルーされた。
面白い事が見つかっても、新作を書きとめておかないので、何時の間にか紛失する。
百舌鳥と同じで、苦労して捕獲した食料を、刺しておいた木を忘れてしまう。
前述の後輩から、「諸澤語録、作っておきましょうか」と誘われた時、受けておけば良かった。
今日は貧しい記憶からの棚卸しで、出血大サービスです。
ネタ作りの方法の一つに、文学作品のパロディ化が有る。例えば、
「朝顔に つるべ取られて もらひ水」を、
「朝顔に つるべ取られて 刈払い」とする。
え、面白くないですか?。かなりの自信作なんですが。では、こんなのは?
「雀の子 そこにいろそこにいろ 今夜のオカズ」
「使えども使えども 我が暮らし 苦しくならず
じっと財布を見つめる」
「あかねさす 紫野行 標野行
野守は隠すや 君が袖の下」 返歌もある。
「袖の下 渡す妹を憎く あらば
人妻ゆえに 恋ひめやも」
額田大王ファンに叱られそうだ。
CMも使える。
「飲み過ぎたのは自分のせいよ
お金も無いのに無理してさ」
私は下戸なので、使い方は要注意てある。
今日は紹介が叶ったが、残念なことに文学作品は使う場が少ない。
駄洒落が一番使いやすいのだが、間違えると、「鬱陶しいなー」の空気の中に、身をさらすことになる。
人生は悲しいこと、苦しいことが圧倒的に多い。
せめてその隙間では、楽しいことに出会いたいものである。