多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
一週間程前に、自宅から車で春日部の法務に行くため、国道16号を走っていた。
川越辺りで、「空 あります」の看板が目にとまる。
一瞬、「空(そら)があるのか、粋だねー」と感動したのだが、、、。
皆さんのご想像通り、駐車場の看板でした。
それからが大変で、私の安全運転に赤ランプが点る。
私にとって安全運転の敵は、「睡魔」と「物思い」である。
「そら」の漢字として、なぜ「から・あき」の意味を持つ「空」の字を当てたのだろうか?。
そんな事を、車のフロントガラス越しに見える、空を眺めながら物思いにふけってしまった。
法務の際は定刻到着を最優先にして、「物思い」に繋がるラジオさえ付けないのに。
帰宅後、「空」の漢字成立ちを調べたら、「穴」と穴を掘る工具としての「工」の合体と言う。
掘った穴が何故に、空(そら・から・あき・何もない)に繋がるのか、余計に分からなくなった。
ある説によると、
空(そら)に雲がゼロ→何もない=「穴→空っぽ→何もない」になるようだ。
空に雲が在っても無くても、空は空だと思うのは現代人で、漢字を物象に当てはめようとした先人が、空(そら)をどう認識していたかによるのだろう。
雲、虹、雷、雨、雪、霙、嵐、、、様々な自然現象を生み出す空が、雲一つない晴天であったら、「何もない日」=「空」となっても不思議でない。
話しは逸れるが、
「空を飛んで見たいな」の願望に、「飛べないんだからいいんだよ」と答えた人がいる。
「それを言っちゃお終えだよ」だが、別な含みが有りそうだ。