多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
年明け直ぐに道友のKさんが逝去された。
最初の出会いは、毎年5月に増上寺を会所として行なわれている、『東京の中心で佛の名を称えるー24時間不断念仏会』の会場であった。
「凄い人がいる」が私の第一印象であった。
24時間不断と言っても、体力気力には限界があるので、休憩室、仮眠室を用意して、各々に調整して頂いている。
Kさんは念仏道場の阿弥陀さまから殆ど離れず、お念仏を続けている。
私が、「夕食の準備ができました」と伝えると、
「要りません。お念仏に来ているので」とのご返事。
念仏会の後2、3日して自坊の観智院を訪れ、「不断念仏会ではお世話になりました。お陰様で成満が叶いました」と、応待に出た私にお礼を述べられた。
続けて、
「仏様の絵に髭が描かれていますがなぜでしょう?」
とのお尋ね。
「不案内なので、調べてお答えします」。
このやり取りが、念仏の道を共に歩むきっかけであった。
間もなくして、2人の念仏会が多聞院で始まる。
Kさんは私より10歳歳上。お念仏に関しては、僧侶になりたての私より大先輩である。
息継ぎが被ってお念仏が切れないように、ちゃんとズラしてくれる。
持病があり、『多聞院老僧と若僧の念仏会』では、時々体調を崩された。
「無理をしないで」と言うと、「お念仏に来て、万一なことが起きても悔いは無い」と、キッパリおっしゃる。
それでも晩年は私がご自宅に伺って、お念仏を共にすることが増えていた。
随分と叱っても頂いた。
「白衣の着方が良くない」、「畳みの縁を踏んでいた」、などなどである。
毎月9カ寺のお参りやお念仏会を欠かさない人だったので、「僧侶はこうあるべき」とか、「一般の人はお寺や僧侶にこう接するべき」とかの考えを、強くお持ちであった。
「庭の除草が必要な時は、何時でも言ってね。私は農家の生まれでプロだから」と言うと、「和尚様にそんなことは頼めない」とのご返事。
先日、翌日の念仏会のために多聞院に泊まった。
朝のお勤めをしながら、一緒に過ごした日々に思いがおよんだ。
露の身は こゝかしこにて きえぬとも
こゝろはおなし 花のうてなそ 法然上人
南無阿弥陀仏 至心合掌 龍譽正俊