お寺の漫画図書館スタッフの酒井正空です。今回も引き続き仏教コミックスシリーズの『家庭のお経〈維摩経と勝鬘経〉』から『維摩経』の部分を取り上げたいと思います。
前回、維摩居士は自ら病の身となって見舞いに来た人々をさとりの道へと導きました。病の身となった維摩居士をお釈迦様はお知りになり、十大弟子や菩薩たちに見舞いに行かせようとしますが、彼らは以前に維摩居士と問答してやり込められたことがあり見舞いを辞退してしまいます。ただ一人文殊菩薩だけが見舞いに行くことを承諾して維摩居士と向き合い丁丁発止の談論が交わされる場面が展開していきます。
十大弟子や文殊をはじめとした菩薩たちと維摩居士との問答には素晴らしい教えがたくさん詰まっております。舎利弗尊者との対話において維摩は「迷いや煩悩を断ち切ることなくそれでいながら最高のさとりとそのまま一体となるべきです」と述べます。これは有名な「煩悩を断ぜずして涅槃に入る」の一節です。
仏教には「無住処涅槃」というものがあり、完全な涅槃にも煩悩のある迷いの世界にもとどまらない覚りの境地です。『金剛経』には、「応に住する所なしにその心を生ずべし」と説かれています。すなわち菩薩が衆生済度のために覚りの境地にありながら解脱せず、あえて輪廻の世界に留まることだといえます。その代表者は例えば観音・文殊・普賢などの大菩薩たちです。
そのような境地を 阿闍世(あじゃせ)は『涅槃経』の中でお釈迦様に教化を受け次のように具体的に述べています、「世尊、もしわたしが、間違いなく衆生のさまざまな悪い心を破ることができるなら、わたしは、常に無間地獄にあって、はかり知れない長い間、あらゆる人々のために苦悩を受けることになっても、それを苦しみとはいたしません」と。