お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
田舎の家から多聞院に山吹の移植計画を立てている。私の好きな花の一つだ。バラ科の黄色い春の花で、咲いても実は着けないと思われているが、種類によっては結実する。誰しも好きな花の一つや二つはあるものだが、人生の様々な出来事と関係していることが多いようだ。
生家の南側に前山城址があり、その北側の斜面に山吹が群生していた。私の山吹好きの原因はそのあたりであろう。「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」。詠み人は兼明親王(醍醐天皇の皇子)。太田道灌が鷹狩りに出て急な雨にあい、農家に駆け込み蓑を所望した。家の娘は庭の山吹を一枝手折り差し出した。娘は前述の古歌を知っていて、「実の一つだになきぞ、、、」と「蓑一つだになきぞ、、、」を掛けた。「山吹伝説」に説かれるところである。私は咲いても実の着かない山吹と、懸命に生きてもなお貧しき身の上を重ねたと解釈する方が山吹のイメージに合う気がする。
「山吹のたちよそおいたる山清水汲みにゆかめど道の知らなく」。詠み人は高市皇子(天武天皇の皇子)で、十市の皇女(天武天皇と額田大王との子)が亡くなった時に偲んだ歌である。山吹の黄色と山清水の泉を合わせて、山清水を黄泉国(死後に行く世界)とする。愛しい女性に会いに行きたいのだが、黄泉国への道が分からないというのが歌意である。いじらしくも切ない挽歌である。二人は異母姉弟の関係だが、通い婚の古代においては異常ではない。私の好きな山吹は悲しい歌に引用されることが多いようだ。数年したら多聞院の庭は、山吹でうめつくされるかも知れない。その時はどうぞお出まし頂き、夜露を宿した山吹を愛でながら一首お詠み下さい。
最後にオマケの一首。「同胞が集いて憩う春の日に合わせて匂う山吹の花」(自作)。