豊島園が8月31日に閉園となり、94年間の歴史に幕を閉じた。豊島園には数々の思い出を、お持ちの方も多いと思う。私も中学校の修学旅行で寄っていて、懐かし場所である。
私は昭和24年、信州の佐久で産まれた。
戦後ベビーブームの申し子で、小さい村なのに同学年が2クラスあった。
思い起こせば、私はかなり幸せな小学校生活を送っている。
担任の先生は、大学の教育学部を卒業したばかりの新人教師で、私達を6年間離さなかった。6年間担任が代わらないのは、当時としても稀有である。
教室の授業はもとより、校外学習を通しての、触れ合いを大事にする先生であった。
私の勉強嫌いもあってか、思い出として残っているのは、先生と遊んだ山や川のことばかりである。
当時先生達には宿直が有り、順番で学校に泊まる。
先生の宿直日に、私達は予め決めているグループ毎に学校に集まって、先生が用意してくれたお菓子を食べながら、談笑したり、幻灯を観たりした。
校舎見廻りの時間には、先生の後を恐る恐る着いて行く。
懐中電灯のみの、真っ暗な廊下、理科室、便所は、先生と一緒でも、肝試しに近かった。
先生も一人で校舎を見廻るのが嫌で、宿直日に生徒を集めていたのかも知れない。
楽しみの後には、大変さも待っていた。
宿直訪問が終わり、街灯も完備されていない村の夜道を、友達と帰らなければならない。
先生が送ってくれるのは途中までで、お親は迎えに来てくれない。
我が家までの間に、一ヶ所怖いところがある。
「火の見櫓近くの物置小屋には、人攫いがいる」と、小さい頃から親に脅かされていて、小屋の脇を通る時は、胸の鼓動が高鳴り、一気に走り抜ける。
思い出の修学旅行が、新潟鯨波海岸の海水浴で、さすが海の無い信州の学校である。
当時の信越線は蒸気機関車で、窓から顔を出すと石炭の煤が眼に入ったりしたが、その分、初めて見る海は感動的であった。
家にテレビは無く、ましてゲームなんか無い。子供達の遊びの主流は缶蹴りと鬼ごっこ。
大人達にとっても娯楽の少ない時代だから、小学校の体育館、校庭で時々映画の上映会があり、農作業を終えた村人が集まる。
天候に左右される校庭で、映画が上映された理由は分からない。
満天の星空を借景にして、「宇宙大戦争」を写したら、素晴らしい臨場感だが、そうでは無かったと思う。
新型コロナ感染症拡大防止のため、教育現場の皆さまも、大変なご苦労をなさっている。
オンライン授業も、非常時の方法としては仕方ないが、教える側も、教わる側も、同じ空気を吸っていることが大事だから、そんな状態に早く戻って欲しいと願う。
観智院・多聞院からのお知らせ
私達は毎秋京都清浄華院にて、「24間不断念仏会」を開催していますが、本年は新型コロナウイルス感染症のため、完全オンラインと致しました。
私は自宅より、9月26日の13時、16時、27日の1時、7時、12時と、5回配信いたしますので、都合の良い方は下記の方法にて受信し、一緒にお念仏を称えましょう。
http://canchiin.net/special/24fudan/