多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
私は長野県佐久市の産まれ。「県民性」について研究したことは無いが、歴史風土の違いによって共通性は生ずるかも知れない。
18歳で東京に出てから、「長野県人て〇〇だよね」と言われたのは以下の通りである。
当然個人差もあるし、根拠の薄い思い込みで言う人もいるだろう。
言われた私が、どう感じたかのレベルの話しです。
1、理屈ぽい。
これは私にも当てはまる。家族からも、「理屈ぽいしくどい」と言われるのは、学生時代に仲間と、夜を徹して議論することが多かった、そのせいかも知れない。
2、長野県は教育県。
歴史的背景も反映されているようだ。信州は幕末の寺子屋数が全国一位であるし、更に明治の学制に基づく小学校の就学率は、全国平均が
35%の中、62%とかなり高かった。
山国信州だが、庶民教育はかなり普及していた。
3、向学心が強い。
私には当てはまらない。受験勉強の記憶がない程の勉強嫌いで、頑張って良い点を取る意識はほぼ無かった。
4、「ひ」と「し」の区別がつかない(発音)
東京に出て苦労したことの一つである。
結婚式の司会を頼まれた時、「貧郎貧婦の入場です」と言いそうで、かなり緊張した。
知り合いに、「きし ひさ」と言う女性がいて、「あのー」とかで、名前を呼ばないようにした。
5、バッタ(本当はイナゴ)を食べる。
小さい頃の馴染みで平気になっているが、経験の無い人は敬遠するかも知れない。
職場の昼食時に、「田舎のお土産です」と広げたら、誰も手を出さなかった。♂️
6、県歌「信濃の国」を全員が歌う。
流石に全員では無いが、9割の人々が歌えるとの調査結果がある。
結果に対して、「歌えない人がどうして1割りもいるのか」、との意見が出たと言うから驚きだ。
現在長野県下、授業で習う小学校92%、歌う機会のある小学校は98%に達すると言う。
<一番>
信濃の国は十州に 界連ぬる国なして
聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
松本伊那佐久善光寺 四つの平らは肥沃の地
海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき
六番まであるこの歌は、明治33年、教育の場でも軍歌を歌わす風潮を憂いた、長野師範学校の先生たちの手により作られた。
歌には信州の歴史風土、地理、人物まで満遍なく組み込まれている。最後六番では「一生懸命に学べば、昔の人に劣る訳ない」と、学びの大切さを説いている。
この歌は県政にも大きな影響を与えた。
昭和23年、県を南北に分ける「分県案」を巡って、賛成派と反対派が議會で紛糾し一触即発の時、傍聴席や議事堂の周囲から「信濃の国」の大合唱が起こり、分裂が回避されたと言う。
私は時々無意識のうちに、「信濃の国は十州に、、、」と口ずさんでいることがある。
遠くにつけ、近くにつけ故郷は有り難い。