多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
新春に花を添えます。
昨年末、腎臓癌術後定期検査のため大学病院に行った。
検査の結果発表を待ちながら、前に座っている女性のお召し物の素敵さに気をとられて、結果待ちの不安が少し和らいだ。
着物を洋服に仕立て直したのか、あしらわれた和風の花々が美しい。
人間はいつ頃から花を「美しい‼️」と感ずる(観ずる)ようになったのだろうか?。
そんな事を暫く考えた。
人類史上お墓に花を供えた最初は、約40万年前(諸説有り)に存在した、ネアンデルタール人と言われている。
美しいと感ずるからこその供花であろう。
考古学的発見からの推察なので、それ以前にも類人猿が、花束を求愛の道具に使っていた可能性はゼロではない。
想像は無コストで楽しい。
美しさを認識するのは前頭葉の働きらしいが、視覚から「美」と「醜」とを識別するためには、事前の情報の蓄積が不可欠だが、感じ方の個人差は如何に処理されているのだろうか?。
残念ながら脳科学には疎い。♂️
「美しいー」の感嘆は、「色」「形」「比率」(黄金比)などから生ずると思うが、観る側の心持ちもかなり影響するようだ。
八木重吉
「花はなぜ美しいか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ」
相田みつを
「うつくしいものを美しいと思える
あなたのこころが美しい」
星野富弘
「今日は何もしないでいよう
そう思った日ほど
花が私に近づく」
花は思い出をつれてやって来る。
無花果は花を咲かせないと一般的には思われている。だからこその漢字、「無花果」なのだが、植物学的には花がある。
で、花はどこにいった、、、?。
実は、実の中にひっそりと隠れている。
従って、「ねえ、私って美しいでしょう。」が、絶対に無理。
美より安全を優先したのだろう。✌️
無花果の子孫を残すメカニズムには、ある昆虫が深く関わっていて面白いのだが、複雑なので次の機会にします。
小林秀雄
「美しい花がある。花の美しさというものはない」
さてさて、どう解釈するか。新年の課題である。
本年も宜しくお願い致します。
多聞院漫画図書館 諸澤正俊拝