多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です
本日は12月15日、師走も半分過ぎた。
「本年も宜しくお願いします」と言ったばかりなのに、もう「良いお年をお迎えください」と言っている。
過ぎてしまえば光陰は、矢どころか光のごとくである。
私は今76歳。高校時代の同級生と、頻繁にメール交換をしている。
話題の中心は衰えてゆく体力にあるが、最後は、「残り少ない日々を精一杯生きようや」で落ち着く。
12月7日、NHKスペシャルで『不老長寿』が放映された。
僧侶としては見逃せないと、テレビの前で姿勢を正したところ、娘からの「お迎えコール」が鳴ってしまった。
秦の始皇帝は、永遠の命を希求したことで有名である。
皇帝が家来の徐福に、「東方の蓬莱山に不老不死の仙薬があるから探してこい」と命じたのは、ほぼ伝説のようだが、全国に妙薬を探させたことは、出土の木簡により確認されている。
「いつまでも若くいたい」は、殆どの人が持つ願望である。
NHKスペシャルで報告された、近年の医療技術の進歩は目覚ましく、遺伝子操作、新細胞の注入等が実際に行われているようで、私達は生命倫理についての議論を急ぐ必要がある。
「不老長寿研究」は、やがて「不老不死研究」に必ず向かうだろう。
木は一定の条件が揃えば、その生命は理論上無限に近いのだ。
スウェーデンには、日本屋久島の縄文杉(2000年ー7200年)を上回る、樹齢9,550年のドイツ唐松がある。根に限れば8万年生きている木があると言う。
「不死」が実現したら、この世界と人間はどう変わってしまうのか。非常に興味深い。
「死なない」と言うのは、変化が無いと言うこと。今の状態が永遠に続いたら、、、さあどうしましょう。
お釈迦さまが唱えた四苦=生老病死は、不生不老不病不死の苦に変わるかも知れない。
現況が固定されたら、現在のパートナーとの暮らしが永遠となりますが、皆さん大丈夫ですか?。
もっとも法律によって、同じパートナーと1000年以上暮らすことは、禁じられる可能性はある。
現在の文化的価値はほとんど意味を失うだろう。
断言は難しいが、死なない私達から観たら、ゴッホの『ひまわり)も、ミレーの『落穂拾い』も感動するだろうか?。
モーツァルトの『レクイエム』何て論外だし、落語の『死神』は失業だ。
不老不死のワクチンが発明されて、打つも打たないも個人の自由となった時、皆さんは打ちますか?。
こんなことを考えながら(ほぼ妄想)、忙しい師走を懸命に走り回っている。
明るい新年をお迎え下さい。合掌














