お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
「踊る阿保に、踊らぬ阿保、同じ阿保なら踊りゃな損そん」は「阿波踊り」の掛け合いである。
「諸澤さんて社交ダンスをやるんですね。阿波踊りもやって見ませんか、連員が足りないんです。」と、猫の手でも良いような誘いを高円寺で受けた。
「取り敢えず受けて、後で考える。」式が多い私は、「やりましょう!」と即答する。
がしかし、「どうせ阿保なら観てる方が良い」と直ぐに後悔。
簡単な講習を受けて直ぐ本番デビューである。
半被を着せられて多勢の観客の中に放り出され、「ヤットセ、ヤットセ」と流して行く。
タンゴ、ワルツを踊るのと違って、鳴り物の音と気持ちが一体化しない。
人前で自信なく演ずることの、何と苦痛なことか。
理由を見つけては遅刻して、踊る時間を削っていた。
ところがである。
ある日、秋篠寺の伎芸天がすーと忍びより、私のDNAを刺激した。
私の菩提寺(信州佐久跡部)には、一遍上人の踊り念仏が伝承されており、今は県の重要無形民族文化財となっている。
目覚めたらノンストップである。
寝ても醒めても頭の中は阿波踊り一色。研究に研究を重ね、足腰を鍛えて、「さあ私の踊りを観て!」と、観客の中に飛び出して行く。
「西の徳島、東の高円寺」と言われ、この世界では評価が高く、地方からも出演のオファーがしきりにくる。気がついたらいつの間にか、ドサ廻りの役者に成長して、果てにはサンフランシスコ日本人街の桜祭りに、高円寺を代表して友情出演することになる。
サンフランシスコは坂の街。中腰で踊りながら坂を登るのはとてもきつい。
でも踊り手は決して苦虫を噛み潰さない。粋でないと祭りにならない。
「粋とは、痩我慢と見つけたり。」