お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
前号に続きお風呂の話で恐縮です。
最近我が家のお風呂が新しくなって、アナログ人間の私は困ってる。既に一か月が経つと言うのに、今だに使いこなせない。
家族から、「スイッチはそのままで、最後の人は栓を抜いて流してね」と言われるのだが、忘れたフリをして流さない。
温度、湯量維持なのか、温かいお湯が出ているままで栓を抜くのは怖い。
先日友人と、幼い頃のお風呂事情について、話す機会があった。
60年前、私が産まれた信州の佐久では、お風呂が外だった。各家の財力によって違いはあったかも知れない。
毎日お風呂に入る時代ではなく、当日庭の隅に(家横の排水路の近く)風呂桶をセットする。特段目隠しもなく、庭だから来客も入ってくる。
私達子供は良いが、女性達はどうしていたのだろうか。
友人とは、「今より羞恥心が薄かったのでは」で、話しは落ち着いたが根拠はない。
当時は「もらい湯」も普通で、沢山の人が入る。村に親父の兄妹家が三軒あり、「今夜風呂たてるから来なんしゃ」、とお使いがある。
一族18人が入ったら、湯もそれなりに汚れる。
友人とは、「今より清潔感が低かったのでは」
で、話しは落ち着いた。
信州の冬は寒い。マイナス15度を超えることもざらにある。
縁側で裸になり、下駄を履いて五右衛門風呂まで、寒さに震えながら走る。今の親は子供にこんな事はさせられない。「虐待かー?」と勘違いされるかも知れない。
たらい桶を足場にして飛び込むのだが、相当に温まらないと、厳寒の外には上がれない。
「湯加減はどうずら」
と言われても、薪に火をつけることが大変と分かっているので、「ちょっとヌルいだにー」なんて言いずらい。
今になって、「家主さんは湯加減の調整に苦労してたんだろうな」、と思う。
もらい湯は、一族交流の場でもある。子供にとってお風呂はどうでも良く、我が家にはないお茶菓子にありつけたり、従兄弟の漫画を読んだり、楽しいひと時であった。
大人同士の世間話しに耳を傾けて、社会性も育ってゆく。
私は幼馴染の女の子二人と、ドラム缶のお風呂に入ったことがある。小学校の同級生でもあるが、二人は今頃どうしているだろうか。