今日から元号が「平成」から「令和」に変わった。
「新元号は令和です」と発表された時、浅学な私は一瞬、「何これ」と落胆した。私が持っていた「令」のイメージが「冷たい、命ずる」であったこと。
「和」は、自分が昭和生まれなので馴染み過ぎていて、目新しさを感じないこと。
が理由であった。
私は「四文字元号」を期待していたが、カスリもしなかった。四文字は、例えば「天平勝宝」(749→757)のように、希望を大きく表しやすい。
後に「令和」の出典が、私の好きな万葉集であること、「令」の意味するところが他にもあることを知って、落胆は和らいだ。
「出典が万葉集なので日本的で良い」との声があるが、私はあまりこだわらない。
「中国と距離を置いた」説もあるが、文化の融合性を考えると、それもどうかと思う。
源流にこだわることは無意味ではないが、取り入れて発展させたものにも誇りを持ちたい。
まわりは外国から伝わった皮でも、中身は国産の小豆餡で、これが又美味しい。ってこともある。
私の故郷は信州の佐久で、盆地の真ん中を千曲川が流れている。川は水利として我々に恩恵をもたらすが、時には大水害を発生させる。
昔し我が家の菩提寺は、川向こうの岩村田に有ったが、増水時に僧侶が来れない事が多く、川のこちら側、跡部村に変更された。
浄土宗西方寺であるが、今も一遍上人の「踊り念仏」が伝えられている。
万葉集巻第14 作者不明
信濃奈流 知具麻能河泊能 左射礼思母
伎弥之布美弓婆 多麻等比呂波牟
信濃なる 千曲の川の さざれ石
君し踏みてば 玉と拾はむ
愛しい貴方が踏んだ石ならば、玉(翡翠・碧玉)とみて拾おう
愛しい人が防人に取られてか、千曲川を渡って旅立って行く。後を追うように河原に駆け下りて、彼が踏みしめた石を拾いあつめる。「言霊」ならぬ「石霊」である。
古代信濃人の感性の何と豊かなことか。
文字に表せば漢字だが、内容は「信濃人の心」
そのものである。