多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
「♪季節の変わり目を、貴方の心で知る、なんてー♪」
恋は始まりやすい季節と、終わりやすい季節があるんですね。知らんかったー。
「四季の国日本」だから、季節の変わり目を様々な方法で感ずるのは良いことだ。
毎年この時期に、信州佐久の友人が小鮒の甘露煮を送ってくれる。これがまた美味い。
甘露煮といっても強い甘露でなく、あっさりとした醤油ベースで、甘みも押さえている。
噛んだ時の微かな苦味に、「今年も秋が来たなー」と感ずる。
友人も年々腕を上げて、どんどん美味くなる。
私の故郷は、「佐久鯉」で有名な信州の佐久である。
佐久鯉は天明年間に櫻井の呉服屋臼田丹右衛門が、大阪から鯉を持ち帰っことが養殖の始まりのようだ。 その後1825年(文政8年)岩村田藩藩主がやはり大阪の淀鯉を輸入して、養殖を定着させた。
佐久の水は冷たいために鯉の成長が遅く、身のしまった、臭みのない食材となる。
海のない信州にとっては、海洋性魚類の、貴重な代替えでもある。
昭和初期には生産量全国一となり、平成20年には特許庁からもお墨付きをもらい、「佐久鯉」は全国ブランドとなっている。
そのせいか、昔し佐久市跡部には水産試験場があり、鯉の養殖等の指導をしていた。
その官舎に住んでいたお嬢様と中学校の同級生で、容姿端麗、頭脳明晰と、天から二物を与えられた様な女性で憧れていた。
ある時彼女が自宅から、「ホテイアオイ」と言う水草を学校に持って来たので、「俺も欲しい」と頼んだら、気持ちよく応じてくれた。
その後ホテイアオイは我が家でスクスクと育ったが、私の恋は育たなかった。
今でも、うす紫の花を咲かせるホテイアオイを見ると、パブロフの犬のように彼女を思いだす。
さて話しを恋から鯉に戻して、
佐久地方では鯉を養殖するのに、田んぼを使う農家がかなりある。田植え後に放して、秋稲刈りの前の水を払う時に回収する。
我が家は鯉の養殖をしていなかったので、親戚の収穫に時々参加した。泥んこになりながら、田んぼの鯉や鮒を追いかける、子供達にとっては楽しい行事であった。
昔し鯉のエサは、お蚕のさなぎを粉末にし練った物であった。
「ホテイアオイ」も恋のエサとなってくれれば良かったのに。
そんな訳、無いかー。