多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
11月6日から8日までの3日間、「観智院法然上人二十五霊場巡拝の旅」に参加した。
平成29年、四国から始まった巡拝の旅も、今回で4回目となりいよいよ上洛︎。
巡拝の内容は、法然上人の由緒深きお寺を訪ねて念仏を唱え、お寺所縁の御詠歌を奉納させて頂く。そして又、次のお寺へと巡って行く。
1日目 勝林寺ー清水寺阿弥陀堂ー清浄華院泊
2日目 月輪寺ーニ尊院ー法然寺ー知恩寺泊
3日目 粟生光明寺ー源空寺ー正林寺
とかなりの強行軍である。
一泊目はお寺とホテルに別れたが、二泊目は全員百万遍知恩寺に泊めて頂いた。
お寺に泊まったら朝寝坊は出来ない。朝の勤行に参列して一日が始まる。
百万遍知恩寺は、私にとって大変縁が深くお世話になったお寺である。
平成26年2月、僧侶を目指す修練がここから始まった。当時私は65歳。年々衰えてゆく体力、記憶力と闘いながら、「何が何でも僧侶になるぞ」と、若い人達の背中を追いかけていた。
生活環境の変化からか極度の便秘となり、道場で用意されている下剤では全く用をなさない。
教官室に呼ばれて「そこに横になってごらん」と言われ、お腹と手のツボをマッサージして頂いた。
道場内では、「諸澤何やってんだー」と激を飛ばす教師が、一介の老人の健康を気遣い、必死にマッサージをしてくれている。
ただただ有り難く、私は涙をこらえるのに必死だった。
道場が始まり暫くして、インフルエンザが流行した。私の左隣りで寝ていた同期生は罹患して下山した。右隣りの彼は風邪のため、別の部屋に隔離された。
「僧侶になることを決意してから、必死に頑張ってきたがこれまでか」と覚悟をしたが、何とか踏み止まった。
巡礼の旅も最終日。お世話になった知恩寺を後に粟生光明寺に向かう。見頃には少し早かったが、本堂に向かう長い階段両脇の紅葉は素晴らしく、「そうだ京都に行こう」のCMを彷彿させる。
本堂で念仏を唱え御詠歌を奉納した後、法然上人火葬所を参拝した。度重なる法難にも関わらず念仏の教えを伝え続けて最後、この地で荼毘に付された法然上人。
「念仏の声する所みなわが遺跡なり」
とのお言葉を、「法然上人と偕に一人」が、
私も可能と解釈させて頂いた。
南無阿弥陀仏 龍譽正俊拝。