多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
ご存知、落語「時そば」の一場面。
ずる賢い客が16文の蕎麦代を誤魔化そうとする。
客 「いいかい、ひとつ、ふたつ、みっつ、
よっつ、、、やっつ。いま何刻だい?」
亭主 「へい、九刻で」
客 「とう、十一、十二、、、、十六」、
と数えるってとほいっと行っちまう。
蕎麦好きがこんな狡いことんやってはいけません。
蕎麦は酒の〆にツルーとやって、「亭主、釣りはいらねーよ」ってのが粋だ
何んて下戸の私が言うのも変ですが。笑
「信濃では月と仏とおらが蕎麦」
「おらが」を付けるところは、山国信州人のお国自慢で微笑ましい。
10年程前、「信州人の私が蕎麦を打てなくては恥ずかしい」と、根拠の無い思い込みをして、蕎麦打ち教室に通い出した。
形から入る私はそれなりの道具を揃え、蕎麦粉は信州小諸の粉屋さんから、一番高い蕎麦粉を取り寄せて、教室の他自宅でも練習を始めた。
ところがどっこい、蕎麦打ちは繊細で、なかなか高価な道具と蕎麦粉を活かせない。
数ある工程で、一つ失敗すると今での苦労が全て水の泡となる。
一番難しいのは水の量だろうか。
蕎麦粉の量を目安にして、一応標準量は決まってはいるが、その日の気温湿度が影響するから厄介だ。最後は一滴どころか手に水をつけただけで調整する。
麺らしく繋がるまでに、かなり時間がかかった。
繋げるためにつなぎの小麦粉を増やすと、蕎麦の味が遠のく。かと言って繋がらなければ、「ショート蕎麦」になる。
小さい頃にオヤツとして、砂糖醬油で蕎麦がきを食べさせられたが、その蕎麦がきの濃い蕎麦の味が記憶されていて、東京の蕎麦は物足りなく感ずる。
蕎麦粉500gから初めて、早く1kgを打てるようになりたくて、毎日自宅で腕を磨く。
結果、良くも悪くも毎日生産される蕎麦は処分に困る。捨てる訳に行かないので、時に自分は1日3回蕎麦を食べ、後は家族、親戚、近所へと回って行く。それでも冷蔵庫には、打ち立てでない蕎麦が溜まってゆく。
新そばが旨い季節である。
「信州信濃の新蕎麦よりも、私しゃ貴方の側が良い」何て言ったら、
「蕎麦(側)はもううんざり」が落ちだな。笑
12月19日(木曜日)は19時より多聞院寄席です。
今月は古今亭志ん松さん、入船亭遊京さんの二人会で、木戸銭は何となんと千円です。
客 「百円玉で払うぜ。一、二、三、四、五、六、七。」
そこに芝の鐘がゴーン。
客 「何刻だい?」「
席主 「へい、六つです。」
客「そうかい、七、八、九、十。ほら千円だ」
こんなお客さん、大歓迎でーす。️