お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
石川啄木は、「戯れに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩歩まず」と詠んだ。これは創作で実際に背負ったかは疑問との説も有るが、心情に変わりは無いだろう。私は戯れにでなく、必要で背負っていたことがあった。高校生の頃と記憶している。病弱だった母は緩やかな坂道でも、息切れをしてよく歩みを止めた。親戚で風呂を借りた帰りの夜道、母を背負い木枯らしの中をとぼとぼと歩いた。そんなことが何回もあった。あの時母はどんな気持ちで、私の背中に顔をうずめていたのだろうか。母は50歳で、私が18歳の時に逝った。あれから49年、ずっと背負い続けている。背中の母は結構頻繁に命令したり怒ったりする。「天の声」と名付けた。命令に従うと大概後で苦労することになる。60歳を過ぎて僧侶を目指したとき、自身に迷いはなかったが、「天の声」もなかった。その理由は往生の後、倶会一処が叶ったら尋ねてみようと思っている。今日は母の命日である。至心十念。