多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
長い梅雨が終わり、花も紫陽花から百日紅に移った途端、炎天下の日々となった。
一昨年、大好きな桔梗を、自宅と多聞院に植えた。
春多聞院の桔梗は、花芽の育ちが悪く今年は諦めていた。
夏が来て自宅の桔梗は、花がら摘みが面倒なほど次々に咲く。1本に10ケ位の花が咲くので、1株では相当な花数となる。
「そんなに咲かなくても、、」と、暑いなか懸命に咲いている桔梗に、失礼なことを言っている。
生育の悪かった多聞院の桔梗は、背丈が低くくて貧弱だが、数個の花をひっそりと咲かせた。
それがかえって私のイメージする桔梗らしくて、感動をもらっている。
「桔梗を観ると何故か、田舎に帰りたくなるんです」と、多聞院で洒落を言ったが受けずに、冷たい空気が流れた。「桔梗」と「帰郷」をかけたのだが、、、。
桔梗を観た時、田舎に帰りたくなるのは事実である。
今日は8月15日。私の田舎、信州佐久地方はお盆の真っ只中である。本日は野沢千曲川花火大会の日だが、今年は中止だろうか。
12日にはお盆用の花採りで山に入る。
桔梗は、苅萱、女郎花、禊萩と並んで、どうしても欲しい「お盆花」の一つである。
草原でひっそりと、風に揺れながら咲いている桔梗は、切るのが忍びない程愛らしい。でも切る。
国はお金を出すから旅に出てくれと言う。
知事さんは、「出ないで下さい、来ないで下さい」と、「先祖様が還ってくるお盆、充分気をつけてお帰り下さい」の、二派に分かれている。
一方田舎で、家を離れている子供や孫の帰りを待つ身も、思いは複雑で辛い。
落語「藪入り」で演じられ、「待つ身」の喜怒哀楽は、親子の情を深く表現して、滑稽な程微笑ましい。
三年前、奉公に出した亀吉が宿下りで帰ってくる。
余りの待ちどうしさに、前夜眠りに着けない熊さん夫婦。
「どうしてこう時間が過ぎないのか。時計の針を一回り回せ」と、カミさんに命ずる熊さんである。
「望郷の念せつなる人にとって、一番なつかしいのは、ふるさとの山や川より、わが家であり就中最も愛し愛されたわが母の思い出である」
土屋光道上人
今年も東京で、精霊棚に沢山桔梗を供え、ご先祖を迎えている。
南無阿弥陀仏 至心合掌