多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、今年の異常な暑さから、「日本から秋と春は消えるかも?」何て、あちらこちらで冗談を言っているうちに、彼岸を過ぎたら朝夕はめっきり涼しくなった。
前職場では、「最初に防寒服を着出して、最後まで着ている男」と、高い評価を得ていた。で、早速冬物の作務衣を引っ張り出した。
その秋彼岸の中日に、ラジオのAI(artificial intelligence)の特集番組を聴いた。
各分野の識者が意見を述べていたが、「故人との対話が可能となる」には、強い衝撃を受けた。
ビジネスとして成立が可能で、既に会社も存在していると言う。
故人の顔写真、音声、記録等を提供すると、性格、声を完全に一致させた動画として、故人を復活させることが出来、相互会話が成立する。
しかも今後は、AI自身が新たな情報を収集し、分析学習して、本物の人間にどんどん近づくようだ。
大切な人を突然亡くした時、「もう一度会いたい」、「声を聴きたい」、「尋ねたいことがある」等々の感情が、わきあがるのは自然である。
喪失感から精神的なバランスを崩す人も少なくないので、ブリーフケアの見知からすると、AIによる故人との対話が有効なケースもある。
造花は英語で『artifical frower』と言い、AIと同様に『artificial』を使う。
時々だが造花を庭先の路地に挿しているお宅を見かける。私は違和感を感ずるのだが、個人的な感性の問題で、楽しみ方は自由である。
お寺の本堂も、造花と生花を併用して荘厳するので、多種多様ではある。
ただ茶花に造花を使った茶室は見た事がない。
利休の『花は野にあるように」との、精神性を具現化するのには、本物の生花を必要とする。
故人AIに限らず、私達は日常生活の中で、本物に近い代用品で間に合わせている物は沢山ある。
例えば熨斗袋。
熨斗とは干し鮑のことで、古くは贈答品に干し鮑を添えて、祝いの気持ちを表した。
今熨斗袋は簡便さ優先した印刷物である。
便利にはなったが本物からは随分遠ざかって、当初の意味は薄れている。
ところがAIによる故人動画の作成は、どんどん本物に近づき、対話が可能なので、意見を述べたりさえ出来て、時には偶像が本物に指示する時代がくる。
より正確な故人AIを生前から、余命宣告を受けた家族が用意し始めることもあるだろう。
現在葬儀の祭壇に遺影は必須だが、それが動画になって会話が可能だと、お焼香しながら「お世話になりました」と礼を言うと、棺桶の故人は当然無言だが、
高い位置のAI動画が、「そんなことないよ、あの時は楽しかったね。今度またゆっくり話しましょう。今日は来てくれて有難う」なんて応えてくれる。
これは落語の世界ではなく、そう遠くない将来実際に起こり得ることのようです。
さて、皆さまの喪失感は癒やされますでしょうか?。