多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
最近小さな飲み会で、大きな情報を得てビックリ‼️。
ビックリしたのは、今や世間では常識なのに、私が知らなかったことが原因のようだ。
夫婦、親子、恋人同士等の様々な関係において、常に相手の所在を確認出来るらしいのだ。
移動してるのも分かるらしい。「○○分後に到着」なんて、駅の電飾掲示板のようだ。
両者が良ければ問題はないだろうが、「私はちょっと勘弁して欲しいな」と、昭和世代の叔父さん(お爺さん?)は感じたのである。♂️
会社帰りにコーヒー屋さんで、一人の時間を持ちたい時も、位置情報は流れている。
隠す必要がなくても、居場所が知らているのといないのとでは、解放感が随分違う。
直ぐの帰宅が気分的にちょっと重く、家の駐車場でスマホのゲームを楽しんでいる。
『家族所在表示板』で直ぐにばれ、玄関のドアがサッと開く。
「何してんですよ、お前さん‼️。自分の家なんだから、遠慮なくお入りなよ」。
「今日はちょっと敷居が高くてな」。
落語のシーンですよ、本当に落語の。
家族がお金を何処でいくら使ったかも直ぐに判る。
郵便物と同じように、見えないバーコードを、お札に印字して家族に渡せば、流れは常に把握できる。
「山内一豊の妻」も、へそくり(裏金)を作れないから、美談も生まれない。
AIや脳科学が更に進歩すると、居場所だけでなく考えていることまで、遠隔での認識が可能になるかも知れない。
デイトで会った瞬間に、スマホをさっと見せられて、「今日貴方が、私のことを思っていてくれた時間は、たった29分です。さよなら」、何てことも。
歌謡曲「知りすぎたのね」の一節である。
恋は終わりね 秘密がないから
交わす言葉も うつろに響く
適当な距離や未知な部分は、新鮮な情念を生み出すこともあるようだ。
個人情報保護が叫ばれて久しいが、やがて個人の情報など、存在しない時代が来るかも知れない。
管理コントロールには便利だが、果たして「人間らしさ」は、、、と、団塊の世代は危惧するのである。
『情報』は、情けを報ずると書くのだが。