多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
今年の桜は開花宣言の後、厳しい寒の戻りがあったので長持ちした。でも流石に今は葉桜となっている。
日本人は本当に桜が好きですね。
日本には約20万種の花があるのに、「花と言ったら桜だ」と言う人もいる。
現に小野小町も、「花の色は移りにけりな、、」と、『桜』の単語は使わないで桜を歌っている。
同じく西行法師も、「願わくば花の下にて、、」と。如月の望月の頃に咲く花は沢山あるのに、『桜』だと通じてしまう。
現に小野小町も、「花の色は移りにけりな、、」と、『桜』の単語は使わないで桜を歌っている。
同じく西行法師も、「願わくば花の下にて、、」と。如月の望月の頃に咲く花は沢山あるのに、『桜』だと通じてしまう。
「桜のやつ恵まれていやがる」と、他の花々のため息が聞こえるようだ。
桜がもてはやされる理由に、咲く時期のよさがあるようだ。
陽気が段々と暖かくなり、人の気持ちが開放的になる時に、パッと開いて、サッと潔く散って行く。
陽気が段々と暖かくなり、人の気持ちが開放的になる時に、パッと開いて、サッと潔く散って行く。
たまりませんな。
大勢の人々に愛されて輝く桜だが、輝く物には必然的に影が生ずるのも定め。
先日ある女性に、「寂しい歌ですが大好きです」と、前置きしながら次の歌を紹介した。
先日ある女性に、「寂しい歌ですが大好きです」と、前置きしながら次の歌を紹介した。
「春されば挿頭にせむと我が思いし 桜の花は散りにけるかも」
この拙稿を読んで頂ける可能性が高いので、歌の意味をもう少し紹介させて頂く。
万葉集巻十六に、『櫻児伝説』として収録されている歌である。
櫻児に2人の男性が、妻になって欲しいと思いを寄せるのだが、選べない櫻児は自ら命をたつ。
従って「挿頭」は妻で、「桜の花」は愛する櫻児である。
もう一方の男性は、
櫻児に2人の男性が、妻になって欲しいと思いを寄せるのだが、選べない櫻児は自ら命をたつ。
従って「挿頭」は妻で、「桜の花」は愛する櫻児である。
もう一方の男性は、
「妹が名に繋ぎたる桜花 咲かば常にや恋ひむ弥
さ年のはに」
名前に繋がる桜の花。来る年も来る年も愛し続ける、との歌意である。
正岡子規は、「歌を作る者は、必ず万葉集巻十六を読むべし」と激賞している。
私はあまり花見をしないが、今年は多聞院から観智院に向かう途中、芝公園の桜の下を歩いた。
カップルで花見に来ていた男性が、垂れ下がった桜の枝に手を添えて、彼女に何か話しかけている。
「よ、青年‼️。花を利用して、優しさのアピールかい?。あんたもやるね。」と無言で私。