多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
9月27日〜28日まで、浄土宗大本山清浄華院で開催された、「京都24時間不断念仏会」に参加した。もっとも私は主催者側のスタッフなので、「大勢の皆さまに参加して頂いた」と言ったほうが正確である。
24時間を大木魚が繋ぎ、一般参加の皆様はそれぞれの体力に応じて、お念仏を称えていただくシステムである。
会場の模様は日本全国及び世界中に配信され、また、国内外の寺院様或いは道友の皆さまから頂いた配信が、会場スクリーンに映し出されて、世界中の皆さまと一緒にお念仏を称えることが可能となる。
23時から大殿法然上人御尊前での木魚を担当した。
「智者のふるまいをせず、ただ一向に念仏せよ」と仰った、法然上人と2人だけのお念仏の時間は、至福のひと時であった。
深夜の2時から1時間、大殿観無量寿経曼荼羅前で木魚を担当したが、丑三つ時の睡魔に襲われてしまった。
「まずいぞ、全世界にコックリが流れる」と心配しつつ、近くにいた道友の高橋さんに木魚を代わってもらい、一緒に念仏を称え続けた。
休憩室には、清浄華院七十九世 善誉上人書による、「おほらかに念佛せよ 法然上人ご法語」の額が掛けられている。
「称えなければ」と、悲壮感を伴いながら日課念仏を相続している身には、目から鱗のお言葉であり、また、人生全体の指針にもなると感じた。
苦しみ悲しみの多い此岸にいて、「おおらかに生きる」ことは簡単で無いが、少しでも近づきたいものだ。
「亡くなっても、全てが終わるわけではない」は、NHK朝ドラ「あんぱん」最終回の台詞の一つである。
次の世=浄土の存在の認識は、この世を大らかに生きるための助けになるだろうし、お念仏はその浄土にしっかり繋がっている。
小学校高学年から死の恐怖に慄きながら、今日まで生きた私の到達点でもある。
南無阿弥陀仏 合掌