お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
男は人生で、二人の父に巡り会えたら幸せと言う。
私の場合は母で、一人は産みの親、もう一人は世話になった叔母である。
男はからっきし母親に弱い。いざと言う時に、「お母さんー」が有っても、「お父さんー」は少ないらしい。
叔母は末っ子で、村から町の大店に嫁いだ後も、私達の面倒をよくみてくれた。
親父に、「学校で金が要る」と言えば、「叔母ちゃんに借りてゆけ」と、簡単に返事が返ってくる。後で知ったのだが、叔母のもとには我が家の通帳があって、貸付欄には金額が、返済欄には玉子何個、リンゴ何キロ、お米1俵等々が記されていた。
高校時代の3年間、叔母の本屋でアルバイトをしていたが、「俊夫ー、俊夫ー」と我が子のように育ててもらった。「隣村の○○は不良だから付き合うな︎」と、度々叱られもした。
東京に出てからも頻繁に顔を出すので.、「おーい、恋人が来たぞー」と、叔父が叔母に知らせたことがあり、理由もなく心地良かった。
帰省中も時々呼び出しがあり、大概は部屋の模様替えや片付け仕事であったが、終ると必ず小遣いをくれる。実の子供達には言いずらいが、私は50歳を越えてもまだ、叔母から小遣いを貰っていた。
叔母は80歳を過ぎてから大病で手術をした。私が見舞いを終えて帰ろうとすると、「もう少しいろや、夕方は寂しい」とぽつり。気丈な叔母だったので、暫く滞在した後家路を急ぎながら、涙がこぼれた。
「俊夫、お前は娘がまだ小さいからもう少し頑張れ」と言い残して、その娘の誕生日に旅立った。
その時、「叔母を見倣って、もう少し人の為に生きよう」と、自分に誓ったのだが難しい。
今月21日はもう17 回忌である。
南無阿弥陀仏 合掌 龍譽正俊