お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
勿論正しくは、「袖すり合うのも他生の縁」
である。道でのすれ違い時に、袖がすりあった偶然のような関係でも、前世からの縁である。との意味だが、「他生」を「多少」としても何となく通じる。
ある日の中央線である。
私の前のシート右端では、カジュアルなおじさんがスマホを操作している。その左隣りにはサラリーマン風の中年男性が座り、熱心に新聞を読んでいる。縦四つ折りにして読んでいるので、ページをめくる動作が忙しく、その揺れが隣りに伝わってゆく。
隣りのおじさんはたまりかねて睨みつけ、そして何かブツブツ言いだした。
私を含めて大概の人は同様な状況下で、「今日はついてねえや」と我慢するのだか、このおじさんは「両脇を下ろし過ぎなんだよ」と、毅然と抗議を始めた。
「やべー、始まっちゃた」と、興味もあってじっと見ていたが、サラリーマンも強い。言い訳の声は聞こえないが、新聞を読み続けている。
頭にきて席を立ったのか、目的駅に着いたからかは不明だが、おじさんは去って行った。
次は朝の山手線。
初老の紳士の横で、23、4歳位のお嬢さんが膝の上にバックを置き、その上にノートパソコンをセットして作業中である。出社後のプレゼンの準備なのか、キーボードを叩く動作に焦りを感じる。
隣の初老の紳士は当然のように苦虫を潰している。私は入り口に立っていたのだが、キーボードの音を確かめたくて近くに寄ってみた。パソコンの手前の文字をスムーズに叩く必要で、両肘はしっかり背もたれにつけている。パソコンを使えない私からは、「スッゲー、神の手だ」と、尊敬に値する速さで打っている。
問題は周囲に対する迷惑度である。ガチャガチャの音もそれなりに高く、速いだけに耳障りである。両肘を完全に下ろしているので、作業の振動は確実に、両隣りへ伝わっている。
「迷惑防止条例」が適用されるか否かは不案内だが、「自分がされて嫌なことは、他人にもしない」。
この辺が、常識的なところだろうか。