お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
10月18 日、自坊観智院詠唱巡礼の旅で、奈良当麻寺奥の院を訪ねた。
この地は飛鳥時代に、明日香京から竹内峠を越えて難波に至る、流通の要所であった。
当麻寺の西、二上山を染める夕陽は、そこに葬られている大津皇子の無念を象徴する。
「うつそみの人にあるわれや明日よりは
二上山を弟(いろせ)と我が見む」 大伯皇女
最愛の弟を失った姉大伯は、「私はこの世にある身だから、二上山を亡き弟と想って見よう」と詠む。
大津皇子は天武天皇と大田皇女との間の第三子で、『懐風藻』(751年成立、最古の日本漢詩集)ではその聡明さが高く評価されている。それ故皇位継承をめぐる反対勢力から疎まれ、父帝崩御から僅か一カ月後には、謀叛の罪を着せられ処刑されてしまう。
憐れにも、「皇子に謀叛の計画有り」と密告したのは、親友の川島皇子である。
「ももづたふ磐余の池に泣く鴨を 今日のみ見てや雲隠れなむ」 大津皇子
辞世の句である。
当麻寺奥の院にて「往生院の御詠歌」を奉納して、昼食のため明日香村に向かう。
「磯の上におうる馬酔木を手折らめど
見すべき君が有ると言わなくに」 大伯皇女
磯とは明日香川の川縁か、軽の池の湖畔辺りだろうか。春が来て馬酔木の花がきれいに咲いても、一緒に愛でる弟はもういない。
皇女の詠んだ歌から、「同母姉弟を越えた、男女の関係ではなかったか」、と言う人もいるが、深読みはしない方が良い。
昼食の店から50メートルの地点に、大化改新の舞台となった伝飛鳥板葺宮跡、100メートルの地点には飛鳥寺が在り、走ってでも訪ねたいが、その時間がない。
それでも久しぶりに、都をとうみいたずらに吹く、明日香風を背に受けて、次の目的地の天の香具山法然寺にむかった。
明日香京から藤原京への移動である。