多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
今年は暖冬のようだ。東京の初雪はニュースで知ったが、それでも翌朝の畑は微かに白かった。
私には、雪を見るとつい口ずさんでしまう歌がある、
「降る雪はあわになふりそ吉隠の
猪飼の岡の寒からまくに」 穂積皇子
葬られている人が寒いから、雪よこれ以上降らないで、との歌意である。
昔し吉隠の猪飼の岡を訪ねて、薮をかき分けかき分け、野バラのトゲに刺されながら、該当する墳墓を探したが見つからなかった。
松の取れた8日、幼馴染の墓参りに行った。
彼女は小学校の同級生。家が隣同士だったので、当然幼い頃から仲良く遊んでいる。
私と違い成績も良く、とても可愛い子だった。
残念なことに42歳の若さで隠れてしまい、その事を伝え聞いた時は大きなショックを受けた。
「いつか墓参に」と思いながらも、霊園を探す手立てを怠り、長い年月を流してしまっていた。
法務で何度か訪れていた大宮の霊園で、ある時ふと、「生前大宮に住んでいたので、ここに葬られているかも知れない」、との思いを抱いた。
多くの人々に協力を願いながら、ご家族の消息を辿った末やっとご主人に挨拶が叶い、墓参の承諾を得ることが出来た。霊園も自分が予想していた所であった。
当日は昼過ぎまで激しい雨だったが、霊園に着いた頃には止んでいた。ただ、教えて頂いた墓域にお墓が見つからず、暫く探し回って、どうにかたどり着いた。
大雨のおかげで供花の水は、「天からのもらい水」である。
読経の後墓前にて、しばらく時間を共にした。
50年ぶりの再会で、幼い頃の思い出が次々と湧き出してくる。
「小さい頃一緒にお風呂に入ったことがあったが、今健在であれば、お互いに照れながら語りあえたね。
共同勉強と言いながら、実はオヤツを食べて遊んだだけでしたね」、等々。
実は彼女と最後に会った時期がはっきりしない。
彼女は秋葉原の電気店に就職して、私は憧れの消防士になった。一度会いに秋葉原まで行ったのだが、駅のホームから電気街に出られず引き返した。
今思えば笑い話しだが、お上りさんの私には、一旦下のホームに降りて出口に向かう、駅の構造が発想されなかったし、駅員に聞くのも恥ずかしかった。
再訪を約束して霊園を後にした時、雨あがりの夕日がとても眩しかった。
合掌 龍譽正俊拝