多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
タイトルほど重い話しではない。どちらかと言えば、お笑いが半分である。
二週間ほど前になるだろうか、BCテレビの歌謡番組で「ムード歌謡特集」をやっていた。
番組が写し出された時、チャンネルを選んでいた家族は、「しまった」と言う表情になった。
俄然私がチャンネル権を主張することが分かっている。
舟木一夫に代表される「青春歌謡」の、次に好きなのが「ムード歌謡」である。
数ある曲の中で、何んと言っても一番は「コモエスタ赤坂」(ロス、インディオス)。
信州から上京したばかりの頃に流行っていて、山家育ちのうぶな私には、「赤坂」の言葉がたまらなく魅惑的だった。
ムード歌謡好きは、社交ダンスの影響も大きい。
今はもう無いようだが、新宿歌舞伎町にダンスホールが2、3件あって、よく出入りしていた。
ミラーボールの下、グループが歌う「コモエスタ赤坂」をバックに、プロのダンサーと踊る私は、もう山国の人ではない。
だが、歌舞伎町にたどり着くまでには、涙ぐましい頑張りがあった。
社交ダンスの練習を、ある日突然始めた理由は以前書いた。
その後、クラシックもラテン系も何とか踊れるようになり、地域のダンスパーティに通いだした。
とある夜のこと、ワルツが流れて、隣の女性に「shall we ダンス」と声を掛けた。
気持ち良く受けて頂いて、パーティー初心者の私も、何とか無難に踊りこなした。
ところが次のキュウバン ルンバでつまずいた。ルンバウオークが決まらず、お相手からは、「もういいです」って。そこまで言うかね。
自分史上最大の、、、でも無いけど、かなりの屈辱感である。
こうなりゃ原点に戻るしかない。ダンス教室に舞い戻り、高い回数券を束買いして、しばらく修行に励んだ。
そして、江戸の仇は江戸で打つべく、再びダンスパーティの会場に乗り込んた。
タンゴが流れた時、踊っていたカップルの殆どが壁側に下がってしまった。私は運良くその時、ダンスシューズを履いた上級者と組んでいて、残った私達は羨望の眼差しを受けながら(多分)、会場の全てを使ってタンゴを踊った。
それはもうデモンストレーションである。
沢山の時間とお金を費やして、とうとう迎えた栄光の時であった。
さてテレビ番組に戻って、
「君は心の妻だから」(東京ロマンチカ)が流れた時、思わず、「俺は沢山いるよ」と失言す。
この顛末はまた今度ってことで。笑。