多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
中学校から始まった英語の授業に、全くついて行けない私は、様々な方法で授業を放棄した。
当然そのツケは社会人となってから払うのだが、信州佐久人はそんな事ではめげ無い。
「喋れれば、いいじゃん」と、英会話教室に駆け込んだのだが、基礎が無いってのは苦労するものだ。
諦めの悪さも手伝ってか、数年間英会話教室でシャカリキに勉強して、「さあ、行こう
西海岸から南下して東海岸を目指し、ナイヤガラの滝に到着。
カナダの出入国管理事務所でひと揉めしつつも、アメリカに無事戻ったのが、前回までのあらすじ。
ナイヤガラの滝を観たあと、「さてと、次は何処に行くか?」。そもそもアメリカに来た目的が曖昧なので、計画もずさんである。
「アメリカに来た証拠として、グランドキャニオンに行こう」と決め、バァファロー空港からフェニクスへ、更に空港からバスでアルバカーキに向かう。
到着が夜遅くになったので、パスターミナル前の、 ネオンキラキラなモーテルに飛び込む。
暗い中ホテルを探して、知らない町を歩くのは危険である。
翌日ローカルバスでグランドキャニオンを目指す。
森林の中をバスはひた走り、料金も所用時間も忘れたが、ひとまず無事グランドキャニオンに着いた。
渓谷ギリギリの場所から、「すげー、雄大だー、」と眺めていたが、ナイヤガラの滝と同じで、30分で飽きてしまった。
「もういいや帰ろう」と、バス停にもどったら、次のバスまで2時間近くある。
山奥の路線バスだ、頻繁に来る訳がない。
仕方なく渓谷の見える場所に引き返し、岩に腰掛けて時間潰し。
空にはラスベガスから飛んでくる遊覧飛行機。
谷底からはハイキングと言うのか、渓谷登りと言うのか、若者が重そうなリュックを背負って登ってくる。
私は寒さで震えているのに、その若者は何と半袖姿である。
「同じ人間でも随分違うもんだ。戦争やって勝てるわけねーや」と妄想しながら、一応、「ハーイ
アルバカーキに戻り、ラスベガス行きのバスに飛びのる。
砂漠とギャンブルの街、ラスベガスに着いたのが明け方でまだ薄暗い。
カジノに入り待合のソファーに腰を降したら、余りの快適さに、スーと眠りに落ちた。
この後続け様に起きたハプニングは、紙面の都合で次回の報告とする。
余談である。
高校を卒業してから、同窓の娘としばらく仲良くしていた。後で聞いてビックリ、彼女のお父さんは、私が英語嫌いになる原因を作ってくれた、中学校の英語教師であった。
もし付き合いが成就していたら、
結婚→義父から英語教授→英会話教室無し→アメリカ1人旅無し→この原稿無し。
風が吹くと桶屋はやっぱりもうかる。
失恋は、50年後にこの原稿を書くための、布石であったのだ。