多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です
10月は季節の変わり目である。花々も百日紅、木槿、桔梗から、菊、秋桜、秋明菊などに変わって行く。
我が家の「夏の花桔梗」は、まだ頑張って咲いている。さすがに花数は減って、地面に近いところから、少しずつ黄葉が始まっているが、深まりゆく、秋を止めたいかのように、名残り花は咲き続ける。
花の色が真夏より濃いのは、紫外線の強さだけだろうか?。
今私の関心事は、桔梗が歳を越えるか否かにある。
夏の野で、風にそよぎながら咲く桔梗も良いが、
初雪の舞うなかで、凛と咲く桔梗は、何と詫びていることだろうか。「もうちょっと頑張ろうね」。
私の都合ですが。
お茶の世界も名残りの季節だ。
茶壺の茶葉が残り少なくなるこの季節、「名残りの茶事」がもようされる。
風呂釜を点前畳み中央に寄せて、火を少しお客に近づけてあげる。気候に合わせる、茶人の気遣いだ。
お軸は「楓葉経霜紅」、「開門落葉多」、茶花は籠に、雪柳の照り葉、秋桜、竜胆などの名残り花、などが好まれる。
そして今日11月1日は、茶人にとっての正月である。風呂から炉に変わり、いよいよ冬に向けて、亭主と客との間に火が入る。
新しい茶壺の口を切り、新茶を挽いて、「口切の茶事」となる。そして、
客 「お茶名は?」
亭主「竜田川です」
客 「お詰めは?」
亭主「宇治上林です」
こんな会話がなされる。
東京には、柿を収穫しない人が少なからずいる。
鳥にご馳走するも善いが、「ご自由にお採り下さい」と、貼紙を出してくれたら、柿好きの私はすぐ、籠を持って駆けつける。
柿の実を採らないおかげで、「柿のなる風景」は長く楽しめさせて頂ける。
「春は桜、秋は柿」とも言われ、「柿のなる風景」は人気が高いようだ。
昔し娘を嫁がせる時に、柿の苗木を持たせる習慣があった。
柿の木は、嫁ぎ先の庭で嫁を見守り、嫁が生涯を終えると、育った柿の木を火葬の薪として、或いはお骨を拾う箸として使われたと言う。
芭蕉の句に
「里古く 柿の木もたぬ 家もなし」がある。
毎年、沢山柿を送ってくれた従妹が逝って、亡き人の名残りが尽きない、今年の秋である。
南無阿弥陀仏 至心合掌 龍譽正俊