多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
「きっかけ」とは不思議なものである。
私は18歳まで信州の佐久で暮らしていたが、直ぐ近くに海名の地名が多いことに、全く疑問を感じなかった。
ところがつい最近ラジオの番組で、日本一海から遠い駅は小海線の海瀬駅。と紹介されていて、「あれ、俺の田舎じゃん。そう言えば海名の地名が在ったなー」がきっかけである。
「八ヶ岳山麓は大昔し海の底だったと言われるから、海名の由来はそんなところ」と考えたが、それにしてもなー、、、で、地元の皆さまのお知恵拝借となった。
結果をお知らせ致します。
仁和3年(887年)に八ヶ岳(天狗岳)が爆発し、その際に大崩落が発生して、現在の八那池洞門付近の千曲川が泥流によって堰き止められ、現海の口から海尻にかけて巨大な自然のダム湖が出来てしまった。
ダム湖の入り口を「海の口」、出口を「海尻」と呼ぶようになった。
八ヶ岳の爆発によって湖が二つ出来、当時この地方に移住した人々が、小さい方を「小海」と呼び、現在の町名や路線名にその名残りがある。
海の口の湖水は、寛弘8年(1011年)に決壊して無くなった。
もう一つの町名「海瀬」は八ヶ岳の爆発以前から存在していたようである。「瀬」とは急流を表す言葉なので、そんな場所が海瀬付近には在ったようだ。
「明日香川 瀬々の玉藻の うちなびき
心は妹に 寄りにけるかも」 万葉集
少し下流に佐久市瀬戸があるが、村内を流れる志賀川が時々暴れて、地名に「瀬」を付けたと推測される。
海名ではないが近くに「馬流し」の地名があり、
千曲川の氾濫時に馬が多数流されて、この地名がついたと言う。
突然に乗った船が海に出てしまったので、ついでに「海」の語源について調べてみた。
「大水」オオミから転用されたようで、陸中でも一定の水量と面積を有すると、「海」と呼んだ時代、地域が有るようだ。
確かに「湖」はミズウミと読むので、音的に近く紛らわしい。
今回の話題は佐久地方に縁のない方々に、退屈なものとなりましたが、最後まで読んで頂き有難うございます。
地名についての情報を佐久の由井さん、菊池さんに、海から一番遠い地点の情報を小諸の原さんに、お寄せ頂きました。大変有難うございました。
御礼に「ふるさと納税」を考えます。