多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
数年前のある日、多聞院でお勤めをしていると、チャイムが鳴って来客。
上がって頂いたら、噺家の柳家花いちさんだと言う。
「落語会を催す場所を探しているのだが、ここを借りられないでしょうか?」と。
「良いですよ」と即答すると、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で、「良いんですか?」と念押し。
落語好きの私にとっては棚ぼたの話しである。
早速、『芝公園in落語会』の看板を手作りして、会は船出した。
そのれから今日まで、花いさんの仲間も合流し、コロナ禍も有ったが会は続いている。
その間に花いちさんは、真打ちに昇進して多忙となり、多聞院落語会は消えるのかなと予想していたのだが、私の心配をよそに噺家の皆さんは、『多聞院にカモーン‼️』と会をリニューアルして、6月14日から再出発した。
再出発に際して花いちさんから、「お寺での会だから、仏教の話しをお願いしたいのですが」との要望があり、また又何時もの癖が出て、「良いですよ」と即答する。
さてと、軽受け合いをしたのだが、落語を聴きに来た皆さんに何を話したら、、、?。ご葬儀、ご法事ではないし。
悩んだ末に『落語』と『お寺』の深い関係について話すことした。
歴史的に見て落語は、僧侶の『説教』から分化発展したと言われている。
眠くなりがちな僧侶の説教を?、しっかり聞いて貰うために、昔は、『初めはしんみり、中はおもしろく、後は尊い法話』の、3部構成になっていたようだ。
その『中は面白く』が独立して、落語に発展してゆく。
噺しの題材として、お寺、お墓がよく登場するが、
それはこの名残であると言う。
当初は『落語』の部分を受け持つ、僧侶がいたと想像されるが、その時代に産まれていたら、私はその役に立候補していた。
噺家の皆さんはそれぞれに出囃子が決まっている。
私は通常通りに木魚で入室したら、これが何故か受けた。
会が終わり、噺家さんが帰り際に帽子をわすれて戻った時、「ボーとしていたんですね」と、素人の持ちネタを使ってみたが、プロにはやはりウケなかった。
次回の多聞院落語会は8月9日、席主で僧侶の小島さんが『木魚』に付いて話します。
下のチラシを参考にして、ご予約をお願い致します。