多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
師走に入ってもう半分が過ぎた。
自らを『師』とするのはおこがましいが、『師走』の名の通り私も走っている。
暮れるは様々に使われる。
「日が暮れる」、「途方に暮れる」、「悲嘆に暮れる」などなど、どちらかと言うとネガティヴである。
日が暮れるのはほぼワンポイントだが、途方や悲嘆は一定の長さを伴うので余計である
短い生涯だった正岡子規だが、約2万句を遺している。当然『年の暮』を詠んだ句も沢山あるが、
「たらちねの あればぞ悲し 年の暮」
「年の暮 母健やかなり 我病し」
などは、行く年の中で母を思う気持ちが、一筋でないことを表わす。
日が短くなるにつれて、落ち込みがちになるのは人間の自然な心理だが、それを踏まえて、秋祭りなどの行事を設定している。
佐久市西耕地に伝わる、『十日夜の藁鉄砲」もその一つであろう。
11月10日の夜、村の公民館に親子連れが沢山集まり、「とうかんやとうかんや、とうかんやの藁鉄砲、夕飯食ったらぶっ飛ばせ」と叫びなから、藁鉄砲で思いきり地面を叩く。
五穀豊穣の障害となる、モグラ、虫などを追い出すのが目的だが、実際の動画を観ると、参加者の気分高揚に一役買っているのが分かる。
日本人の心の故郷とも言われる万葉集には、巡りくる次の季節への、期待や喜びの歌が多い。
止められない時の流れなら、その中で永遠の命と無限の向上を、獲得することが得策である。
「除夜の鐘はうるさくて公害だ」などと言わずに、鐘の音が少しずつ少しずつ小さくなって、消えてゆくのじっと耳で追いながら、一年を振り返り、来る年に希望を繋ぎたいものである。
暮れてこそ 来迎頼む 明日があり 自作
明るい新年をお迎え下さい。
南無阿弥陀仏 合掌