9月4日、橋幸夫さんが肺炎のため82歳でお隠れになった。
橋幸夫さんは御三家(舟木一夫、西郷輝彦)の筆頭格で、数々のヒット曲を持ち、私達の青春時代に深く関わって頂いた。
私が心から愛する御三家の歌は、西郷輝彦さん『君だけを』、舟木一夫さん『高原のお嬢さん』、そして橋幸夫さんの『霧氷』である。
この歌は、「霧氷 霧氷 思い出はかえらない」で始まる、とても寂しい曲である。
「歌は思い出を連れてやってくる」と言われる。
過ぎた時間は帰ってこないが、思い出は隠に陽にそれぞれの人生に影響を与え続ける。
『霧氷』がヒットしたのは1966年の10月で、当時私は17歳の初々しい高校3年。
病弱だった母が入院し、私が病院に泊まり込み、看護をしながら学校に通っていた。そんな時に流行していたのが『霧氷』で、この歌を聴くと、母と過ごした半年間の入院生活が瞬時に蘇ってくる。
思い起こせば大らかな時代であった。
女性の6人部屋に、青春真っただ中の17歳の私が泊まっている訳で、病院や同室の女性達がよく同意したものである。各自に仕切りカーテンがあるとは言え、音、匂いは遮ぎきれない。
入浴は消灯直前の時間に許可されていた。
病室のおばさま達に優しくされたことも、逆に惨めな思いも沢山経験した。
この半年間はバスで通学していた。
普段は学校までの3、40分を、ボロ自転車を励ましながら通っていたので、バス通学は上流階級に仲間入りした気分だった。
ある日、バス停から母の待つ病院に向かう、田んぼの中の一本道を、「あーあ、介護が待ってる」と、うつむき加減にとぼとぼと歩いていた。
西の空は夕焼けで真っ赤である。
母のいる病院が夕日に照らされて、何故か空中に浮かんでいる様に見え、私は思わず駆け出していた。
あれから60年、あの時以上の美しい夕焼けに、出会ったことは無い。
私の思い出の愛唱歌『霧氷』は、
「僕を 僕を 僕をなかす」で終わる。