お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
清水澄子さんは信州上田が生んだ、夭逝の文学少女である。
「枯れてゆく コスモスを見ては 涙ぐむ 私の心も枯れてゆく」 遺稿集 (ささやきより)
彼女の作品の中で一番好きな歌で、コスモスを見ると思わずこの歌をつぶやいてしまう。
枯れてゆくコスモスの中に、自身の存在の無常性を感じてゆく。
澄子さんは明治42年に信州上田で産まれ、幼い頃から文学に親しみ、詩、短歌、などの創作に没頭する。上田染谷高校に進み、将来を嘱望されるも在学中の、大正14 年、1月7日15歳で鉄道自死を遂げてしまう。
私自身が自死遺族であること、澄子さんと同郷であること、彼女の歌が好きであること、などを重ねて、何十年も思いをよせている。
澄子さんが、「この世を生きない」と決めた最大の理由は、「この世は汚れている」と認識したことにある。
この世に存在することは、自身も汚れることであり、大人の世界に向かいながら、日々汚れて行く自分を許せなかった。
その気持ちは理解したいが、でも生き続けてほしかった。この世にあっても、汚れない道を模索しつつ、その葛藤を歌にこめて、同じように苦しんでる若者達に届けて欲しかった。
稀な才能を持つ彼女だけに、残念でたまらない。
70年を無為に生きてしまった老僧の、叶わない希望である。
「春さらば かざしにせむと 我が思ひし
桜の花は 散りにけるかも 」 作者不詳
100年を経てなお、ご両親の慟哭が聞こえる気がする。
至心合掌 龍譽正俊