多聞院お寺の漫画図書館スタッフの諸澤正俊です。
本日は2年前に受けた腎臓癌手術の、「術後定期検査結果」を聞きに病院にきた。
親父も癌を患ったので、体質を受け継いでいるのかも知れない。
私のは幸い初期だったので、大事には至らなかったが、発見までに幾つかの偶然が重なっている。
15年前に大好きだった叔母が肺癌で逝き、「同じ病気で死ぬのは嫌だな」と、直ぐ肺癌の検査をした。
ドクターから、「肺は問題ないですが、副腎の腫瘍が写りました」と、目的外の発見である。
副腎の片方を摘出手術したあとの検査で、反対側にも腫瘍が有るとのこと。
良性の可能性が高かったので、以後年一度の追跡検査を受けるけことになる。
7年後にドクターが、「成長していないので、以後検査は必要無い」と言う。
私から、「先生、もう暫く続けましょう」と、検査の継続をお願いした。
翌年の副腎の検査で「腎臓に癌が在ります」と、これ又目的外の発見があり、手術のために現病院に転院した。
あの時ドクターの提案に頷いていたら、症状が出るまで判らなかった。
叔母の病気から始まって、こうも偶然が重なると、眼に見えない力が働いている気がする。
或いは病気に対する、私の臆病さが幸いしているのかも知れない。
良寛さんは、「死ぬ時には、死ぬのが良いでしょう」と言っているが、「何もせずに、座して死を待て」の意味では無いだろう。
私は僧侶になる前、職場の若い人達に、「生きているのだから、死なない努力をすべき」と説いてきた。
それには、
1、病気にならない努力
2、事故に遭わない努力
3、自死を選ばない努力
の3つがある思っている。
その上で、「自分の意思で産まれたわけでないのに、何故生きなければならないのか?」の問いと真剣に向き合わなければならない。
長い時間、この原稿を書きながら待ったが、検査の結果は心配の無いものだった。
朝からの激務でドクターもお疲れの様子。
診察室を出る時に、僭越だったが親しくさせて頂いているので、「先生もご自愛下さい」と言ったらにこっとプロの笑顔をくれた。